拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 脱皮

2016年04月02日 | 観自在
 先日この動画をみて人間について、自分についての『脱皮』というものを考えてみた。
 動画のようなちょっと不気味で、鮮やかな『脱皮』を人間はするものであろうか?

 最初は、人間にはこの様な脱皮はありえない・・・と考えたが、しかし、ようく還暦してみるとアレがそうだったのかなぁ
 と思い当たることがあることに気づく。

 高校の3年間を終え、東京の京王ホテルに就職、3ヶ月ばかりで辞めて神戸の牛乳屋さんに住み込んで写真学校に行き始めた頃のこと。
 誰一人知っている人もいない新天地、神戸で自力で生活始めた時(もちろん、様々の人にお世話になりながら)、19歳のボクは
 一度目の脱皮をしたのではないか。
 動画のカニも脱皮完了まで6時間の長きにわたってもがいているようであったが、ボクの場合も4~5年かかったわけだ。

 高校生になる頃には、自由に巣立ちたい自分があるのに、自分の羽で飛びたつ力がないのと、生い立ちや血縁関係やなんやかやと
 自分の手足に足枷をかけてくる運命のような『力』に抗してもがきまわる状態こそが『脱皮』するために必要条件であったかと
 今では思える。
 
 以前からボクは『通過儀礼』というものにこだわっているが、これも『脱皮』という言葉に置き換えることができるだろう。
 幾つかの通過儀礼を経て大きな『脱皮』を人生の内に何度か経験する・・・・。そう言えるかもしれない。

    もがく我れ もがく自分が 見えた時 自ずと脱皮 準備中かな : 一撮 (青春の一ページとして)


           


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