拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  量志力覚としての『坐』

2024年05月13日 | 東洋自分なり研究所

  我が『東洋自分なり研究所』の設立、はこのブログ記事から始まったようで 2020年4月30日〜『仏語』ちょうど4年目を迎える。

 

  この記事で『仏語』の『仏』を『ふつ=不二』と読ませ、『不二』の『二』を英語『two』の日本的発音『ツ』を適用し、

  仏語が『不二』という『法(悟り)』をベースに語られる言葉『仏語』であることを説明しているが、すでにいい加減、適当で

  設立者である私(馬骨)しか理解できないような『自分なり・・・』を発揮していた。(そんな事を書いたことをすっかり忘れていたが)

            

               

 

  しかし、時はそれなりに、いい加減に研究を深めていて

  今日は『坐』が『量志力覚(りょうしりきがく)』的に人間存在の最小単位であることの発見の発表である。

 

  『悟り』は『郷里・サトリ』であるとは、これまで何度も提唱してきたが、その根拠は『郷』の解字であるに由来し

  自我が無我に観音(鏡=響)を介して相まみえる状態を原点としているが、それはまた坐禅の『坐』の字へと悟学的に進化変形し

  『不二』の原姿『坐』であり量志力覚的に『原志』である。

  そこから、自我(自己)・無我(他己)の『自他不二』として『縁起』初発の基点(慈悲・智慧)が働きだす。

 

  それ故 『坐』の字は『悟り』の内容を禅『単的に示す』だけでなく、『行』として『坐=瞑想』を表現しているのである。

 



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