拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

仏語

2020年04月30日 | 東洋自分なり研究所

  仏語…といえば、普通フランス語を意味するが、一撮的には『ふツ−=不二・語』で仏の言葉の意となる。

  仏語は、究極的に非言語コミュニケーションを意味する。

 

  仏語の普及を担ったのが『菩薩』で、それが『道』として一般大衆に広く普及を成功させた国が日本であったが、その事実を認識している人は少なく、

  非言語化は俳句レベルが精一杯、その後のネット社会浸透と経済のグローバル化の中で仏語は忘れられる一方であった。

 

  仏国土とは程遠く息詰まる一方の世界に思いもよらぬ『コロナ禍』が起こり、それによるショックは少なくない人々を目覚めさせたようだ。

 

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             弥勒菩薩は未来をになう仏であるが、彼の仏語が聞こえるであろうか…

 


非言語コミュニケーション

2020年04月28日 | 写俳一撮

前回のブログ『マスクの奥の一黙』の続き…

マスクが一黙の象徴とすれば、その先に『非言語コミュニケーション』の世界が広がる…という話。

そもそも、このブログ題名が『拈華微笑』であるが、これって人間の深化の最先端のあり方。

世界的ベストセラー本『サピエンス全史』の中で、ハラリ氏が言っているのは、我々サピエンスが生き残ることが出来たのは『物語る能力』…って云うことであったと思うが、ここに至って宗教の総本山的イスラエルの地でユダヤ人著者であるハラリ氏によって宗教が人間によって物語られた作り物であることを暴露されたのだ。

この本で、彼は故意にかは知らないけれど仏教に関しての考察はされていなかった、どころか次の本『21Lessons』で『サピエンス全史』を書けたのは仏教の瞑想法を実践したおかげである…と告白している。

今から2500年前に、釈迦は『物語能力』では人間は真実(真に幸福)に至ることは出来ないと喝破し、一黙によって至ることが出来る『非言語コミュニケーション能力』の開発と布教にその一生を傾けた…のだと思う。

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  藤と不二(ふじ)を掛けているいるオヤジ・ギャグに微笑みを!


マスクの奥の一黙

2020年04月24日 | 観自在

昔から『目は口ほどに物を言う』…というが、実際、世界中の人々がマスクをしているのを見ると、人間にとって、口元の表情もいかに大切であるかというのを痛感する日々。

マスクをしている表情からは意外に何を考えているのか分からないという、不気味さを覚えるのはボクだけではないだろう。

今朝の朝日新聞デジタル版にフランスはパリに住む作家、辻仁成さんが書いたコロナ禍についての寄稿記事が掲載されていた。『ウイルスは愛を奪う悪魔』であるという風に今の現状を人間世界をマクロ的に観た場合に持つ感慨の一方で、息子との生活というミクロ的な観方では逆に、これまでにない連帯感が生まれ、父子間の強い結束力に希望を見出している・・・という主旨の記事を読んだ。

今回のコロナウイルス感染によって亡くなられた沢山の人々のことを思うと、安易な考えを書くことはできないが、犠牲となった人々に報いるためにも、ただ絶望的に悲観するだけではなく、そういった異常事態からでしか体得できない事にも眼を向けるべきであろうと思う。

今回のコロナウイルス騒動では、世界中の人々に等しく『マスクの必要性』を強要し、人が人に会うことを許さず、世界を分断させる如き力に世は恐れおののいているのであるが、一方でまったく異なる観方もある…というか、そこをよく考えてみることでコロナ騒動後の世界がより素晴らしい方向にむかう可能性を大いに秘めているのではないかということだ。

禅道場では私語は一切厳禁で、その理由は自己の心の作用の一切を自己の内にむける…為である。それによって自他一如の世界観、つまり慈悲と智慧の本来の自己に目覚める境地に至らせるわけだ。

今回の『コロナ騒動=マスク騒動』というのは世界規模の『ダルマの一黙』で内観を奨励し、『黙れ!』の教えをコロナウイルスはしてくれているように思う。

この騒動もいずれ終息し、人々は『元の木阿弥』となることは目に見えているものの、ほんの一部の人々は『一黙』に大いに目覚めるであろう。

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  一黙といえば『維摩の一黙』しかし、この女の場合、一黙では足りない…
 

 

 


合掌の時代

2020年04月22日 | 観自在

合掌の時代・・・がいよいよ来ることになったのだろうか。

昔々、釈迦の悟りから敷衍したお経の一つ、法華経に常不軽菩薩の話がある。

会う人、会う人、誰に出会っても、『貴方はいつの日か、仏として目覚める方です…』と合掌礼拝した坊さんがいたそうだ。それを言われた大衆の中には、気味が悪いと、石を投げつける者などがいたそうだが、逃げ去った遠くからも『貴方を軽蔑しません、いつの日か仏に目覚める方ですから…』と合掌礼拝したのが、お釈迦様の前世の姿であったと云う。

ボクの昔、これをある仏教書で読んだ時、どこにどう惹かれたの分からないが強く印象に残ったことを覚えている。ただその時は、常不軽菩薩が相手に対して『合掌礼拝』していただろうことは容易にイメージすることはできていたが、その合掌にどれだけ深い意味が隠されていたのかはその時はまったく知らなかったが…。

合掌については以前にブログに書いた⬇︎

syaraku-sai.hatenablog.com

 あれから合掌について、人に話てみたい…と思って計画していたら、今回のコロナ騒動で無期限延期になってしまった。

しかし、このコロナ騒動期だからこそ世界中の人類に平和をもたらす挨拶行為としての『合掌+礼拝』を提唱する機会はないのではないだろうか。

釈迦の死に際にうろたえる弟子に彼が残した最後の教え

『自灯明、法灯明』・・・よく調えられし己こそまこと得難きよるべなり…

その姿として美しい合掌礼拝は彼の言葉を日常に取り入れた挨拶として再考すべき時ではないだろうか。

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志村のギャグと安倍のギャグ

2020年04月16日 | 観自在

日本を代表するコメディアン志村けんさんが新型コロナウイルスに感染して亡くなって何日目だろう…。

世界中が『自宅待機』状態になり、自然とインターネットを見る機会がふえ、Youtubeなんかでは『志村けん特集』が大量にアップされているが、理屈抜きで笑わしてくれる彼の才能に今更ながら感心し、本当に惜しい人を亡くしたことを残念に思う。

・・・と同時に、この様なタイミングだからこそというべきか?『死して本望を遂げる…』というようにあたかも今、喜劇人の意地を見せている。

というか志村さんだから、もっと肩の力を抜いたやり方で日本中の『引きこもり生活者』に笑いを振りまき、人々が喜んでいるのをあの世から満足気に眺めているに違いない。


志村けん爆笑コント集 10 Ken Shimura

ボクは志村さんより2歳年下のほぼ同世代だけれど、1980年代からほとんどTVを見る機会がなかったので、いまYoutubeで彼の沢山のコントを新鮮な思いで見ている。

そんな志村のトンチンカンなやり取りギャグをいくつも見ているうちに、安倍総理のトンチンカンな国会答弁やギャグそのものの政策など、志村ギャグから相当学習していることを確信した。

『すっとぼけ』『ごまかし』『すり替え』『故意の聞き間違い』で志村は人々の笑いを取り、安倍は支配を強め、私腹を肥やす…安倍政権はもっと悪質でより巧妙だが。

しかしもちろん、この二人の同じようなギャグは基本的に正反対の性質をもっている。

志村のギャグのベースには『愛』があり『虚飾を奪い笑い飛ばす力』があり民衆を幸福にする。

一方、安倍のギャグは『欺瞞と虚飾で自己を大きく見せようとする愚かさに気づかない悲哀』が一杯で国民を不幸にしているのだ。

 

 


零和へ

2020年04月14日 | 観自在

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              昨日の朝のニコルシカ

この写真を見た時、何故か映画『風の谷のナウシカ』を想起した…

映画は昔見たが、内容がさっぱりわからなかったにもかかわらず、最初の場面はとても印象に残って、その禁断の雰囲気と美しさがたぶん澄み切った朝の空気に見えたのだと思う。

それで帰宅してから、DVDでこの映画を観て検証してみた。

この監督の原点が、文明の破壊と再生、自然への畏怖と敬意、戦争の批判と共生…に有るのだそうだが、映画内容はぶっ飛んでいる感満載でありながあら、そういえば現在のような状況をすでに想定した感もあって、映画で描かれる『腐海』は毒を発するものであると思われている一方で地球を浄化する役割も実は果たしている…というようなところが、今回のコロナウイルスと自然環境破壊と再生との関わりなどを示唆しているようで深い…ということがわかる。

そこで破壊と再生ということであるが、

今回のコロナ騒動は我々人類から見れば社会生活の破壊だし、自然環境再生の点から見れば環境を見境なく破壊する人類への必然的自然発生の報復であるとも見える。

そういったことを考えた時、去年より日本の元号を『令和』としたのは、案外偶然ではなかったのかも…とボクは密かに妄想している。

『令和』には本来『零和』という『零(ゼロ)からの和の再生』の意味が込められていた、と。

 


もう一つの『三密』の世界

2020年04月12日 | 観自在

先日、東京都知事の小池知事が都民に対して、コロナウイルス感染を防ぐ方策として『三密』というのを提唱した。…つまり密閉、密集、密接を避けることを強く要請したのだ。

三密って、なんか聞いたことがあるなぁ…と思ったら、ちょうど今読んでいる本が空海関連であるが、彼が日本で起こした真言密教の修行理念が『三密』なのだ。

身密〜身体により手印を結び、口蜜〜口に真言を読誦、意密〜心に本尊の観想を行う。この三密を行うことで、衆生と仏とが一体になり、『即身成仏』を得る…というもの。

ところで、なんで今コロナ(炎)ウイルス…なんだ?

とボクは思わざるを得ない・・・。

AIが世を席巻し、わずか1%の富裕層による世界支配がまさに実現しようとしている2020年の初春、音もなく文字通り世界中をして『万事休す』状態に落とし入れることが出来たのが、コロナ(炎)ウイルス感染っていう事…。

その解決の重要なキーワードが空海の真言密教の『三密』と同じだなんて、にわか仏教オタクのボクには今回のこの騒動が偶然に起こったとは思えない。

コロナ(炎)ウイルスは密教の本尊、大日如来の太陽炎の由来だろう。

それは、『諸行無常』『諸法無我』『涅槃寂静』の仏教の真理(三法印)を無視した人間の煩悩による秩序の破壊からの回復あるいは復活を企てる自然のはからい・・・なのだろう。

図らずも、明日はキリスト教の『復活祭』であるが。

真言密教の『三密』をボクなりにわかりやすく解釈すると『調身、調息、調心』による目覚め…ということになる。

コロナウイルス騒動後はこの『三密』ならぬ、『三調』による生活を人間は無視することが出来ないだろう。

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万事休す…

2020年04月07日 | 写俳一撮

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 今朝6時過ぎのレマン湖が左、前方奥低く左右に広がるジュラ山脈の上に輝くお月さま。

 

『万事休す』…まさに万事休すを絵にした様な事態が現実に起こっている、ということを一瞬忘れさすほぼ満月の美しい月が早朝の山の上に輝いていた。

『万事休す』の原因となっている新コロナウイルスのコロナという名の由来が太陽の炎…から来ていることを先日知った。その太陽の光を受けて月が輝いているのだ・・・。

人間は本当の『万事休す』に面した時、ふだん潜在化している叡智を発揮するものであると信じたい。

 

 


社会的距離・考察

2020年04月04日 | 観自在

『社会的距離』…って、いま世界中で最も意識されている言葉。

大辞林によると: 個人と個人、個人と集団、集団と集団の間における親疎の程度。これが小さいほど親近感が強く、好意的な態度となる。

・・・というような、社会学的見解を披露しているが、今起きている事態はそれとはまた別物…。

3月になって猛威を奮っている新コロナウイルス感染はまさに想定外の事態を世界的規模でもたらし、沢山の人が感染して死亡している。

その感染拡大を止めようと、自宅待機を命じている国、そうでなくても無用な外出を慎むよう警告を出している国など様々だ。

食品の買い物などやむを得ない外出をする際は、他人との間の『社会的距離』を約2mを保つように…と言われ、実際これまで日常的に握手やキッスの挨拶を頻繁に交わしていたヨーロッパ人もはじめのうちは肘と肘をくっつけた挨拶が、いまやマスクをしたまま社会的距離をあけて一言二言交わす程度となった。

この『社会的距離』は簡単に言うと『間』ということになるが、日本語では我々『人間』と言う時、人+『間』という文字で言葉を形成している。

それくらい人間にとって大切なのが『間』であるとした時、

どこからやって来たのか知らないが、人間にはどうすることも出来ないウイルス感染という形で人間を襲ってくる現象は、世界中の人々に対して『間』を意識し、再考することを強要しているようだ。

人間が長い営みの中で、見出すことが出来た最も崇高な感覚『尊厳』…というものを基本とした時、その『尊厳』という一人ひとりが大切にしている『間』を踏みにじるばかりか、無視する現人間社会の風潮に対する自然の報復にように見えるのは、ボクだけではないだろう・・・。

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念念コロリ…

2020年04月02日 | 観自在

こんなに人類が全世界的に攻め込められる状態・・・というのはそう滅多にあるものではない。

こんなとき、我々人類は手をこまねいてぼ~っとしているのは能がないと思う。

宗教の有る無しに関わらず、一人一人が念じる、あるいは祈る・・・というごく素朴な形で人間の念力を集結させれば、『コロナウイルスを終息』させる一助として侮(あなど)れない力を発揮するとボクは信ずる。

今こそ、『コロナウイルスの終息』にむけて念じようではないか!

人間の『意識』の力には底知れないパワーを秘めている、それを世界中の人々が皆一丸となって『コロナウイルス終息』に向ければ、必ず終息しないはずがない。

ちなみに、今日の在スイス日本国大使館情報では

累計感染者数 1万7139人(前日比+963人)(うち我がヴォー州はダントツで多く3655人)

累計死亡者数 378人(前日比+5人) 

 

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呪文: ム〜っ! 念 念コロリ〜 念コロナ!!念 念コロリ〜念コロナ〜 終〜息!!!

 

写真は東寺の『 降三世明王 』像・・・9世紀に空海の指導の元、作られた不動明王像で

過去、現在、未来の三世に渡って『悪』を滅ぼし仏法を守るという。不動明王の頭部に燃え盛る炎こそがコロナとも言える、仏炎によって炎ウイルスを制する図それが不動明王だ!


シュールな春日和に

2020年04月01日 | インポート

『世界的引きこもり期』って史上初…だろうか?

うららかな春日和の一方で、在スイス日本国大使館情報によるスイスの累計感染者数は1万6176人(前日比+701人)累計死亡者数373人(前日比78人)・・・という数字に異次元感。

まったく、どういった時期を我々は過ごしているのだろう。

相方がネットで見つけた、近所の若い女性が我々に代わってスーパーに買い物に行ってくれ、地上階の入り口にピンポンをした後、置いていってくれた。これは2回目であったが『いつでも遠慮なく言って下さい…』のメールが相方に送られてきた。見ず知らずの女の子ボランティア、ただただ有り難くて相方は我々二人が写っている写真をメールしたら、彼女の方もセルフィを送ってきてくれた。

いつになるかわからないが、この騒動が終わったら一緒に食事したいと思っている。

さて、引きこもり…だが、ボクは若き日に禅の修行で『接心』という一週間単位の究極の引きこもりを十分研鑽しているので、Wifi完備の自宅謹慎など屁でもないが、インターリンクでVPNを設置したおかげでアマゾン・プライムの動画を好きなだけ見られるようにした幸運に感謝している。

今日見た『ヨコハマ物語』という奥田瑛二主演の映画(2013年)は良かったが、その主題曲を歌手役で登場した泉沙世子さんの歌も素晴らしかった。


泉 沙世子 「カス 」LIVE