拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

『命の選別』発言こそ魔性の選別

2020年08月26日 | 観自在

大西氏は7月3日の動画で以下の発言をした。

「高齢者を長生きさせるのかっていうのは、我々真剣に考える必要があると思いますよ介護の分野でも医療の分野でも、これだけ人口の比率がおかしくなってる状況の中で、特に上の方の世代があまりに多くなってる状況で、高齢者を……死なせちゃいけないと、長生きさせなきゃいけないっていう、そういう政策を取ってると、これ多くのお金の話じゃなくて、もちろん医療費とか介護料って金はすごくかかるんでしょうけど、これは若者たちの時間の使い方の問題になってきます」

「こういう話、たぶん政治家怖くてできないと思いますよ。命の選別するのかとか言われるでしょ。生命選別しないと駄目だと思いますよ、はっきり言いますけど」

「何でかっていうと、その選択が政治なんですよ。選択しないで、みんなにいいこと言っていても、たぶんそれ現実問題としてたぶん無理なんですよ」

「だからそういったことも含めて、順番として、その選択するんであれば、もちろん、高齢の方から逝ってもらうしかないです」

「僕はそういう政治家になると思いますよ、けっこう冷徹に判断していく。それを考えることを要求すると思います。情緒とか感情ではなくて、気持ちははかりますけど、気持ちだけで全部解決するわけではないので」

「戦争が長引いたのも、そんなんで合理的判断が出来なかったからじゃないでしょうか…」

 

今朝、改めて7月3日に配信された大西つねき氏の動画を見た。 

この人は自分の言っていることが、解っているのだろうか?・・・

「高齢者を長生きさせるかっていうのは・・・(中略)若者たちの時間の使い方の問題」であると言っているんですが、それってどういう意味?若者の時間を犠牲にすることになるからダメだと言いたいのだろうか?それで弱者を殺して自分が幸福になれるの?それでなくとも今現在すでに一部の富裕層に忖度した政治経済が推し進められていて、貧しい老人だけでなく、中年だって若者だって世知がない世の中に絶望して自殺に追い込まれたり、自殺でなくても苦しい生活に追いやられてホームレスになっている人々が今現在いる現状を考えた時、「若者たちの時間の使い方の問題」だなんてセリフが正常な神経の持ち主であれば言えるはずがない。

 そして思ったのは、大西発言に関してれいわ新選組が臨時総会を行った夜の記者会見での舩後議員の発言(以下)だった。

 「大西氏は『障害者やその他の社会的弱者を対象にしたものではない』との趣旨のことをおっしゃっています。しかし、そこで一度、大西氏の言うように、順番として、高齢の方からという線引きを許してしまえば、その対象はあらゆるところに広がっていきます。

 最初は高齢者、次は障害者、難病患者、稼げない人。私は進行性の難病があり、人工呼吸器を使わなければ、寿命が尽きています。大西氏の表現する順番どおりで言えば、すでに 線引きの対象にされていたでしょう。

 当初、当事者の声を聞く機会を設けるということで、大西氏がご自身の発言の問題に向き合っていただくことを期待しました。しかし、私も会の一部を見ましたが、その時大西氏の発言からはおごりを感じました。氏の経歴を見ても、氏自身がおごらないのは難しいと感じます。

 おごるとは、相手に対し、自分の方が上だと思う心がある、自分に執着することからくる慢心がある、間違ったことを言っても正しいと言い張る我心、つまり自我に囚われた心がある、の3つです、そのような人物は政治家に向かない」・・・・・・・・・

到底容認できるものではない・・・とした、舩後議員の歯に衣着せぬ発言には、ボクは全く同感であるが、以外にも反応がほとんど無く、一方のれいわ新選組の木村議員に対しては『感情的』である旨、多大な批判があり、自ら発言することの出来ない舩後議員の発言に対しては、その発言が軽いと見ているのかほとんど無視されたかっこうだ。

 

大西つねき氏の『命の選別』発言で、最終的に徹頭徹尾バッシングされたのは『れいわ新選組』の代表、山本太郎だった。大西氏の発言こそ二重の意味で『悪魔性』を含んでいた。

一つは彼自身の心の奥に巣食っている魔性の発露であり、二つ目はそのことで正論を訴える山本太郎へのバッシングがそれまで支持者であった者達から沸き上がったことだ。

その点に、ボクは大変な不条理を覚え、その愚かしさに恐ろしさを覚えるのだ。

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   この夏が暑いのに寒々しい思いがするのはその『不条理』のせい・・・  

 

 


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