拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 『 人 "間" 工学 』 〜 一粒の米

2021年03月05日 | 人"間"工学

  私は貧しい家に育ち、小学校6年生から高校まで牛乳配達などしたりしていたので、たぶん他の人より

  『物の大切さ』などは肌感覚でわかっていたつもりの30歳の時、

  初めて円覚寺居士林の春季学生接心という一週間の集中坐禅会に参加した時のこと。

  道場の外、汲み上げポンプの流し台で、世話係の袴姿の学生が鍋だったか、食器だったかを洗っている際に、

  ご飯粒が数粒、水と共に流れ出たのを大慌てで追っかけて、手で摘んで食べていた光景に出会って

  私はあっけにとられてそれを見ていた事をいまだに忘れられない。

  しばしば、私がこのブログで書いている『四弘誓願』のなかの三番目が『法門無量誓願学』というのがあるが、

  一口に禅の修行…といっても、こういった瞬景からも生涯忘れられない学びがあることも、見逃せない事だと思う。

  『仏・法・僧』…これが仏教で(三宝)と称している三大最重要素であるが、『僧』とは4人以上の修行者が集まっている

  組織をいうが、仏・法、だけでなく仲間の修行者からも学ぶ事をこの『三宝』は意味している。

  禅修行は『悟り』に向けて全力であるが、同時に私達の命を支えている全てに感謝を捧げ、大切にして、活かして使う精神

  を培う事にも全力であった。・・・世界に称賛される日本の『もったいない精神』の源泉がここにある。

  そう考えると、今の環境問題にしても、経済問題にしても、教育問題にしても、あらゆる問題を根本的に改善する答えを

  禅修行自体が持っているといえる。

       

       その初めての接心が終わって…終わった時、辛かったのと、やり終えた喜び?に学生に混じって男泣きをした思い出の図

  

  



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