拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

   『色界』の争い

2023年10月25日 | 東洋自分なり研究所

  街を歩くと、本当に『玉のような赤ちゃん』を沢山みかける。

  身近なところでも、相方の姉の娘が『玉のような赤ちゃん』を一年前に生んで、相方はまるで親バカのように夢中になっているが・・・。

 

  日本語で『玉のような』・・・という形容詞で『赤ちゃん』を表すが、

  これは仏語の『無垢』ということで、『煩悩のけがれを離れて清浄である事』を意味しているだろう。

 

  そんな『玉のような赤ちゃん』を見た時、『幼子が 次第次第に 知恵つきて 仏に遠く なるぞ悲しき』・・・の詩を思い浮かべる自分が悲しい。

 

  真珠のように美しく、何色にも染まっていない『無垢』の『赤ん坊』が、色界に生まれ、何らかの色に染められてしまう・・・。

 

  今、パレスチナ対イスラエル・・・、ロシア対ウクライナ、その他にも世界のアチラコチラで『色界の争い』が起こっている。

  互いに爆弾を落とし合って、『我々の子供を殺すな!』・・・と、絶叫しているが、その『色界』という環境に染め上げ、子供等をその『色』に巻き込んだ

  お前たち大人の責任は『どうなんだ!!』・・・と言いたくなる。 それならば『無宗教』のほうがましだ・・・とつくづく思ってしまう。

 

  『玉のような赤ちゃん』を『玉』を保ったまま『大人』に出来んもんかね? 大人(おとな)は、『音命(おとな)』で観音様に聴くしかないか。

                  

                   『色』は楽しむもので『染まる』ものではない・・・の図



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