街を歩くと、本当に『玉のような赤ちゃん』を沢山みかける。
身近なところでも、相方の姉の娘が『玉のような赤ちゃん』を一年前に生んで、相方はまるで親バカのように夢中になっているが・・・。
日本語で『玉のような』・・・という形容詞で『赤ちゃん』を表すが、
これは仏語の『無垢』ということで、『煩悩のけがれを離れて清浄である事』を意味しているだろう。
そんな『玉のような赤ちゃん』を見た時、『幼子が 次第次第に 知恵つきて 仏に遠く なるぞ悲しき』・・・の詩を思い浮かべる自分が悲しい。
真珠のように美しく、何色にも染まっていない『無垢』の『赤ん坊』が、色界に生まれ、何らかの色に染められてしまう・・・。
今、パレスチナ対イスラエル・・・、ロシア対ウクライナ、その他にも世界のアチラコチラで『色界の争い』が起こっている。
互いに爆弾を落とし合って、『我々の子供を殺すな!』・・・と、絶叫しているが、その『色界』という環境に染め上げ、子供等をその『色』に巻き込んだ
お前たち大人の責任は『どうなんだ!!』・・・と言いたくなる。 それならば『無宗教』のほうがましだ・・・とつくづく思ってしまう。
『玉のような赤ちゃん』を『玉』を保ったまま『大人』に出来んもんかね? 大人(おとな)は、『音命(おとな)』で観音様に聴くしかないか。
『色』は楽しむもので『染まる』ものではない・・・の図
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