若爺として、それなりにディープラーニング(行深般若波羅蜜多)時、
歴史に疎い私がにわかに、『大拙出現』というものが日本、はたまた世界を歴史的に俯瞰したとき、その意義のあまりの重要さに感涙・・・。
端的に言えば、『大拙はラストサムライの孫、或いは仏界が送り込んだターミネーター』・・・ということなのだ。
鈴木大拙をして『ラストサムライの孫』・・・というのは、明治維新を迎えることで失うことになる『大和魂』というようなものが
大拙の出現(明治3年:1870年生〜昭和41年:1966年没)により、昭和の世界大戦敗戦の失意の中にあっても、ただ一人『ここに日本あり・・・』と
世界に獅子吼(ししく)していた男が『大拙』であった。
釈尊が説いた『自灯明』は、辛うじて大拙によって『禅の心』として、日本のみならず世界に『直指人心』の禅が『人間探究』の方法として
『普遍の力』となることを実証しつつ説いたのである。
ここ30年来、失墜一方の日本政治経済でありながら、日本を『心の郷里』として、世界中の人々に愛されている理由の一端に
『鈴木大拙』の貢献というものがしっかりとあるように思う。
大拙をして『仏界が送り込んだターミネーター』という事も、未来にむかって『人間性』を失いつつある世界状況を見越した仏界の計らいによって
若き大拙が禅門を叩くことになり、明治・大正・昭和という長きに渡って『衆生無辺誓願度』を胸に96歳で亡くなるまで人間に『悟性』のあることを説いた。
大拙: 『広める広めぬ、じゃないんだな。 皆んなが知ってなくちゃならぬ…というわけだ。
広める広めぬというと、なにか人為でだな 厭なものを教える、ということになるかも知れぬけど・・・そうじゃなくしてだね。
そういうものを みな世間の人が知っていなくちゃならぬ。 そこには宝の持ち腐れじゃ困る・・・ということになりますなぁ。』
『回想 鈴木大拙』 P398より抜粋