拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  禅寺での禅修行

2023年11月08日 | 東洋自分なり研究所

  Youtubeなどで散見する、独自で『悟り』を開いた方々の実に立派なご様子に感銘を受けながら、ふと自分のようなボンクラが多少なりとも

  彼等の言っていることがよく分かるようになった『お陰』のことについて考える機会を頂いたようだ。

 

  『東洋自分なり研究所』・・・などと宣って、あたかも自分一人の発案であるかのように、破茶滅茶な思いつきをこのブログで披露している私は

  心のどこかで、自分の『独自さ』のようなものを気負っていたと思う・・・。

  しかし、改めて自分の禅の修行・・・居士林、そして円覚寺僧堂での足掛け10年ほどの修行を振り返った時、

  私のようなボンクラが一丁前(?)に、仏門に至った経緯の裏には『禅寺』ならではの『修行システム』・・・

  坐禅を中心に、読経・老師の提唱・作務・食事などの作法・雲水の所作・居士林を指導する和尚の言動・夜座・独り或いは団体での経行(きんひん)…

  などなど・・・様々な『教え』がじつに立体的に仏道に向かって『私』を育ててくれていた事実に改めて思い至り、合掌して感謝する。

 

  特に、耳にタコが出来るほど読まされた、『般若心経』『白隠禅師坐禅和讃』『四弘誓願』からは、『不立文字・教外別伝』の禅とはいえ

  『仏道の基本思想』を叩き込まれていた・・・ことに今になって気がつく。(本当に盆暗だ!)

  『読経』に関して、寺では一切説明がないので、自分の中では『無かった』事になっていたが、どっこいどっこい、しっかり『熏習』されていたのだ。

  『色即是空・空即是色』なんていうのも、立体的禅修行システムによって私の愚脳は『ディープラーニング』していたのだと思う。

 

  様々な人が、様々な語意を使って『悟り』について語る今日此の頃、『悟り』に関しては誰よりも先に、誰よりも真剣に、誰よりも長きにわたり

  ひたすら専心してきた『仏教』・・・には、 現在、彼等が言う一見、新発見であるような事柄(語意)も、じつは何千年も以前に仏教徒によって

  提示されていた事柄であることがわかる・・・。

  そういった点から、私達日本人は今一度誰よりも身近にある『仏教』というものに関心をよせ、真摯に学ぶべきでは・・・と思わずにいられない。

          

  スピリチュアル系の人が使う『クリアオーディエンス』という言葉を最近知ったが、それは『観世音』に他ならず

  今流行の、『アカシック・レコード』は『般若智』の『観自在』であろう。

              『 只坐る 不立文字の 坐禅だが 経読む我に 宿る言魂 』 馬骨

  



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