拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 『サンシロー』の場合

2015年06月14日 | 人間観察録

 知人に近い友人は今年70歳になるという。彼女と数年前電車で同席した時、胃カメラの話が中心であったが、ふと写真であったか?美術であっか?
 そちらの話がでた時、ボクは彼女の意外な一面を見た思いがして、いつか機会があったらボクの写真を見てもらおう・・・と思っていた。

 それで先日突然彼女に電話して、『今、写真の個展をしているので見に来て下さい。』とお願いしたところ、快諾していただいて6月下旬に来ていただく
 ことになった。その同じ電話で逆に彼女の方から『息子(サンシロー)が演劇を公演するんで、よかったら見に来ませんか?』と招待された。

 それが、昨夜相方と一緒に観た公演で『Saturation:飽和』とういう題名の73名の5~16歳の子供達による歌舞演劇で超シュールかつ深く楽しい物語が
 見事に演じられていた。

 日本人の母、スイス人の父を持つサンシロー・・・という名前はもう十年以上前から、子供を対象としたギター弾き語り者として、その噂は耳にしていた。
 それが、昨日初めて舞台でダンスする彼を見、38歳になった演出家としてのサンシローに公演後声をかけた。

 遠目では黒髪で母親似であるが、彼女の華奢なイメージは全くなく、むしろ精悍な男盛り・・・といった活き活きとした灰色がかった眼の青年であった。
 ボクは以前にもブログに書いたが、『間の子』という日本人と他国人の間に生まれた人間に非常に興味を持っている。
 そういった立場の人間が、どういった事をするのか?しないのか?・・・というようなことに。

 この公演では、黒子が登場したり、日本歌手(最新の?)の歌をバックに踊ったり日本的な要素が取り入れられていた。
 そしてなにより、情報科学の異常な進化についてゆけず人間性を失う子供達をライティングと演出でシュールに描いているところや
 同じシーンを角度を変えて4度再現するシーンなど強く印象に残ったが
 帰宅してから観た彼の若き日に撮ったYoutubeを見ると例のマトリックスなどの映画に影響を受けていることがわかった。

 舞台表現の可能性、自由性というものに眼を開かせられた一夜であった。(舞台写真が一枚も撮れなかったことが残念・・・)

           
                     昨日、公演が行われた公民館前の広場の風景・・・
 


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