実は一ヶ月前だったであろうか? ついにローザンヌにも上映の運びになり、あの『鬼滅の刃、無限列車編』を観てきた。
映画館は平日の夕方であったが、17、18〜24歳ぐらいの若者が友人連れで70%ぐらいの混み具合であった。
私のお気に入りYoutubeである『イチゼロ』でも取り上げ、絶賛するアニメ映画なので、どこがそんなにいいのか?気になっていたのだ。
観た私の感想は、正直『どうってことないなぁ・・・』であった。 感動して『泣いた』と聞いていたが、どこで泣けるんだろう…とも思った。
しばらくしてから、思ったことは、『歯の浮くようなセリフ』の存在がポイントであると思った。
そしてそれって私などの世代(70歳代前後の人々)だと、ガキの頃から時代劇映画に浸っていた者にとって新鮮でもなんでもなく、
見飽きたぐらいの時代『劇』であるのだけれど、それって今の若者達にとっては物凄く『新鮮』なのではなかろうか・・・!という感想であった。
それよりもなによりも、今の日本である。 『鬼滅の刃』どころではなく『気滅の刃』の『東京オリンピックとコロナ感染』問題。
なんでよりによって『日本』で、こうも次から次へと『災難』が降りかかる・・・のか! 不思議なくらいではないか。
なにか『意味』があるんだろうと思う。『鬼滅』の前の、気が滅入る状態の『気滅』のような。
菅首相は『国民の安心安全を第一』と言いながらコロナ感染が広まるなか『東京オリンピック』開催を強行し、8月2日には緊急事態宣言をだした。
そして国民は、オリンピックの日本選手の活躍に気を取られているからなのか、なんの危機感も表明せず他人事のように思っている。
この状態は間違いなく『気滅』であり、だれが本当の『鬼』なのか、一般人にはわからない・・・というのはアニメのストーリーでもそうであるように
夢遊病者状態に陥って、ほんの一部の『鬼滅隊員』にしか現状の把握ができない・・・というのが『諸刃の剣』であり『鬼滅の刃』ではなかろうか。
本来オリンピックは人々の気持ちを一つに結ぶものであるはずが、安倍の穢れたオリンピックは『気滅の刃』で国民を分断することになった。
他人任せではなく、自分で自分を覚醒すべき『難問』を次から次と日本を襲うのか。
2020年11月28日のブログ『現代における鬼滅とは?』のタイトルで『鬼滅の刃』について書いている。
昔の時代劇では勧善懲悪が明確であったが、現代の『鬼』は、悪の質がより巧妙になって、だれが善でだれが悪なのか容易に判らなくなっている。
コロナの変異種のように・・・。
日本というロゴが無ければ何一つ行動できない所知障者にボーダーラインは決して越えられはしないでしょう。
オリンピックもコロナも、ボーダーラインを超えることに意味があるわけです。