拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  悟りの郷里(くに)の童歌 〜 かごめかごめ

2023年12月16日 | 東洋自分なり研究所

  先日、信じられないような話〜ショウゲンさんという青年がアフリカへ行って、縄文時代の日本人の心を学んで来た・・・という話をYoutubeで観たせいなのか?

  いやいや、そんなアフリカまで行かなくても・・・と、対抗意識を燃やしたのか馬骨は突然、日本の童謡『かごめかごめ』に何故か閃いた。

 

  『 かごめ、かごめ。 籠の中の鳥は いついつでや~る。 夜明けの晩に 鶴と亀がす〜べった 後ろの正面、だ〜れ! 』・・・という

  まさに公案(禅問答)とも言うべき難解で理解しがたい童歌。 

  私も小学校で習ったのか? 歌だけは憶えていて実際に子供の頃、鬼となった子供を数人の子供が手をつないで円で囲みながらこの歌を唄う・・・

  というのはやったのかどうか? あまり記憶にない・・・。 まして今の青年たちは、この歌すら、知らないのでは??

 

  さっそく、ググってみると、この歌『かごめかごめ』は、『 囚人説とか嫁姑問題説、遊郭に囚われた遊女説・・・など、不吉な出来を象徴している。』

  などといって、ろくな説がなく、それじゃ童歌として夢も希望もあったものではないか。

 

  そこで馬骨は新説『かごめかごめ』を開陳することにし、

  この童歌(わらべうた)こそ、明日を担う子供の郷里(くに)創りを思って、我等が祖先が作った歌である事を証明することとなった。

 

  かごめ、かごめ 〜 囲め、囲め・・・と『円』を描くように手を繋いで『輪』を描くように取り囲む=円を描く=『円覚』思想が背景にある。

  籠の中の鳥は 〜 籠の中=エゴで凝り固まった自我の中の 鳥=『悟り』という『仏性』のこと

  いついつでや~る 〜 何時になった『悟る』のであろうか・・・

  夜明けの晩に 〜 (非常に禅的な表現で)時間の観念の無い時・・・つまり無心になった時

  鶴と亀が滑った 〜 長寿でめでたい象徴もぶっ超えた・・・つまり不死の『悟り』を得た瞬間

  後ろの正面、誰 〜 『自ずと分かれ、自ずと分かる』真実の自己に目覚めた『自分』に気がつく・・・。

 

  その『郷里(さとり)』歌を 子供たちと遊びながら歌ったのは・・・もちろん『良寛』禅師に他ならない(馬骨論)

 

            

        我々の祖先は、童歌(わらべうた)にしてまでも、『道のこころ=円覚』を通して、『悟り』を促していることを知るべきでは・・・。

 

       

  



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