拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  雪(ゆき) が 雪(セツ)…

2022年01月21日 | 観自在

  

     『 雪(ゆき)と言い 雪(セツ)と読ませる 漢字仮名(感じかな) 色から空へ 花鳥風月 』  一撮

 

  こういった遊び句を遊戯三昧・・・と捉える人は少ないかもしれないが、

  日本文化的な創造性を醸成するうえで、日本語の特異性に対してもっと注目すべきではないだろうか。

  日本語を完成させる過程で、漢字・仮名の組み合わせが考えられた際、

  漢字一字で音読み、訓読みの二通りの『読み方』を可能にしていった我々の先祖様は色々な意味で本当に凄いものを残してくれた。

  私見に堕するが、音読みは『求心的』で、音読みは『遠心的』な気がし、それが生活する上で不思議にバランスが取れているように観える。

 

  日本文化は部分的ではだめで、全体を見通した上での部分でなければ納得しない質だからこそ、『間の文化』とも言われるが

  そういった性質の醸成に重要な役割を果たしているのが日本語が持つこの特異性が関係しているのでは?ないか・・・。

 

  そもそも漢字が入ってきたタイミングというのが、日本人にとって『絶妙』であったと思う。

  インド発祥の仏教が、中国の道教や儒教などと適度にブレンド発酵した後、漢字と共に日本に入ってきた時

  日本語をより完璧なものへと練り上げる作業の過程は、日本人の言語と心の養成とを同時進行してきただろう。

  『悟り』も『不二』なら、言語も『不二』の構造を持っている日本語は『悟学』的に『粋』で『風流』な言葉なのだと思う。

 

           

             稲荷寿司 食わせてくれろ 狐来て 影絵でできた 唯一の手がた : 一撮



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