拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
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  還暦ギャラリー『森』 : 中世祭り

2022年11月12日 | 必撮無眼流

  数あるNetflixの混合玉石の作品のなかで、最近私がはまっているのは西欧の中世物語である。

  SFが大好きだけれども、最近はNetflixの優れた作品のおかげで過去の『中世物語』により興味を持っている感。

 

  先日まで『マルコ・ポーロ』を観て、チンギス・ハーンの孫、元の初代皇帝フビライ(1215〜1294)の存在に非常に関心を持った。

  一年前に『バイキング』を観て、当時の彼等の生命の躍動というかそのバイタリティに圧倒されたが、

  今ハマっているのは『ラスト・キングダム』で、英国がバイキングとの闘争の中で徐々に国を統一してゆく過程の物語である。

 

  これら歴史物を観ての感想は、一言でいうと『浪漫』という言葉が自然と私の愚脳に浮かんだのであるが

  果たしてその定義は?・・・と調べてみると

  『合理主義に反し、感情、個性、自由などを尊重、自然との一体感、神秘的な体験や無限なものへのあこがれを表現』(大辞泉)とあった。

 

  こういった物語を観る我々は、すでにその歴史の流れを知っているから、『浪漫』などと言っていられるが

  当時のヨーロッパ人にとって中世を生きるという事は、互いに言語や風俗習慣の違いから生じる『疑心暗鬼』の中で生きるということで

  現代の我々からみると不条理な事だらけの生活の中に、生死を貫くほどの信条や宗教が不可欠であったであろう。

  数々の限界を受け入れ、自己の信じる運命に身を投じて行く姿に、私は『浪漫』を感じるのだと思う。

 

  中世から千数百年経過し、 IT(情報通信技術)が異常に発達した現代とはいえ『ウクライナの戦争』をみる限り

  人間は相変わらず互いの『疑心暗鬼』に悩まされている・・・のが不憫だ。

  その意味では、人間は未だに『浪漫』を追いかけなくてはならないようだ。

          

  スイスでも各地で『中世祭り』が行われ、『撮人家』として、私は結構アチコチの中世祭りにでかけた。

  この写真はスイス・イタリア語圏のベリンゾーナで一撮した騎士たちの像。



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