『東洋自分なり研究所』・・・『自分なり』っていう、『いい加減』や『適当』が許されそうな命名した自分をまずは誉めたい気がする。
というのは天下の『俳聖』、松尾芭蕉について謙譲などではなく、無学そのままの私が云々する事自体がありえない事であることを
誰よりも自認しているからである。
そもそも、何で私はそんなに芭蕉の句にこだわるのか?・・・『俳句』にはほぼ無縁な自分なのに…と不思議でたまらなかったのだ。
『古池や 蛙飛び込む 水の音・・・ジャポン!』・・・以前にこのブログで何か書いた気がするが、何故か私の琴線に触れるこの句の原因は?
公案の如く、考えるともなく我が愚脳が勝手に考えていたのであろう。その研究成果がいよいよ、『芭蕉の『音』楽』となった。
事の始まりは、やはり36年前に老師から頂いた公案『庭前の柏樹子』であった。
ある修行僧が問う、『達磨大師(禅の創始者)さんがインドから中国に来た真意は何ですか?』
趙州禅師答えて曰く『庭の前にある大樹』・・・と、これだけの問答に私は5年ほど対面して『妙音』にいたったが
まさかそれが、大樹の陰にとりついていた『観音蝉』の声であったとは長い間わからずにいた。
『 やがて死ぬ 気色は見えず 蝉の声 』・・・この句に出会った時、私は気づくべきであったか。
『音』を楽しむのが『音楽』であれば、芭蕉も『観音』を聞いて大いに楽しんでいたのだ。
というか、ここにこそ『音楽』の真髄があるといえよう。
三十数年前、渡欧する直前に骨董品店で気に入って買ったこの図を表装にして我が家に飾ってあるが
観音様が『観音楽』に踊り狂っている図・・・とは、その頃は思いもしなかった。
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