拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  佛語の修得

2024年02月10日 | 東洋自分なり研究所

  私の三十歳代の10年間、濃淡はあったが生活の中心に『禅修行』があった。

  といっても、居士(在家の修行者)という立場を堅持し、最初の5年は(円覚寺)居士林の土日坐禅会と自宅で毎夜線香一本の坐禅、

  海外滞在一年を挟んで後半4年は、円覚寺老師の弟子となり公案を頂き、月一回ある接心(一週間)に参加して参禅したのだ。

 

  その頃のことを考えると、まさに『只管打坐』・・・というか、庭前の『柏樹子』(大樹)に向かって『打坐』していたのみ。

  何かに上達するということもなく、ひたすら『坐』していたわけで、しかし、私は何も求めていないというか、何の期待もしていなかった。

  取り柄は『熱心』というだけで、来る者拒まずの老師がいてくださったから続けられた修行であったように思う。

 

  修行を打ち切って、渡欧し仕事を渡り歩く中、ポルトガル人の友人に『仏教って何?』と聞かれて、『無』しかしらない私は一言も説明できない自分に

  驚いた。じつは、『禅って素晴らしいよ』・・・と、言うために渡欧したつもりだったが、10年打ち込んだ『禅』についてはもちろん

  一般的な仏教概念すらなぁ〜にも知らなかったのだ。 それからかなぁ、多少は仏教について自分なりに勉強したのは・・・。

 

  私のブログ題名『拈華微笑』・・・、『ある日、釈尊は華を一輪、黙って弟子たちの前に示した・・・。一同なんの事かわからずぽか〜んとしていたが

  弟子の一人が、釈尊に向かって微笑みを返した』・・・というのだ。 この話は禅仏教徒の間では、知らぬ者はいない話だ。

  今、私は思うのだが、ここから『佛語』が始まっていて、私の修行というのは、実はこの『佛語』の修得にほかならなかった・・・のだ。

 

  それにしても、30年もスイスに在住して地元の仏語も満足に話せない私が、『観音』がようやく聞き取れるレベルというのでは、

  『佛語』を自在に操れるようになるにはどれ程の時間が必要だろうか・・・?

 

                       

                 同じ娑婆でも、『佛語』が通じる仏国土に私達は生きている・・・

 

             



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