昨日、『六道輪廻』の話をして、もうそれは終わり・・・と思っていたら、『そうは問屋が卸さない』という事態が待っていた。
ブログを書いた後、Youtubeをザップしていたら私のYoutube案内画面にニュース動画があり、その見出しににダライ・ラマの名前と
スキャンダラスな言葉があったので動画を見たのだが、私はあまりの事柄に文字通り『絶句』してしまった。
大勢の人がいる面前で彼が子供にした行為、させようとした行為について、いまここでそれを書き表そうとは思わないが
その子供やその子の両親。そしてダライ・ラマを尊敬し、信頼している多くの人々。なにより国を失いながらも『ダライ・ラマ』を
中心にして自分たちの文化や宗教を守っていこうとしているチベットの人々に対して、何という醜態を晒し、チベット仏教に対する
信頼をいかに失墜させたか・・・彼はそれをわかっているのだろうか。
じつは昨日の『六道輪廻』について書く際、『人間』以下の『修羅・畜生・餓鬼・地獄』については自分ごととして考えられる範疇であったが
一番上に位置する『天上』・・・というのは『六道輪廻』の中で一体何なのか?という疑問を持ちつつも、まぁ、いいかと思っていたのが
この青天霹靂のニュースが、身を持って『六道輪廻における天上』というものが、どういうものかを教えてくれたように思う。
銃弾に倒れた、安倍元総理にしても『天上』である得意の絶頂から『地獄』へと輪廻転落したのだろうし、
今話題になっているジャニー喜多川氏も『畜生』レベルぐらいには転落したであろうか?
『六道輪廻』では、『天上』に上り詰めたからと言ってずーっとそこに留まるわけではなく、刻一刻と『心の状態』も変わるのであるから
『心のGPS』は『平常心是道』レベル、つまり平常心として自己の行為を省みることの大切さを教えているのだろう。
『権力の座』にある者達はいずれ自己を見失い、身近に取り巻く者達も『裸の王様』の如く真実を進言をする事を恐れ、
彼等はいつの日か転落の憂き目を見る。 それにしても、仏教を布教する側の『ダライ・ラマ14世』の行為は恥だ。
『輪廻転生』の『虹』の架け橋か?