拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  魔境の戒め

2022年07月25日 | 観自在

  巷はいま『統一教会』の話題で一色。(インターネットで日本を眺めるかぎり)

 

  『宗教と政治』の関わりも『政教分離』の点から問題視すべきものであるが

  統一教会の場合、宗教教団とも呼べない、信者を限りなく不幸に向かわせるカルト教団であり、

  元会員等の話を聞くと、『地獄・サタン・先祖の不幸』などの単語が飛び交い、そういった『恐れ』を回避するための

  唯一の方法が『献金』であり、有り難い『壺や数珠や印鑑』などを購入することである・・・

  などという『教え』に、純朴に従う信者たちの存在にこそ私は驚く。

 

  戦後生まれの私たちは、戦前『国家神道』という形で戦争に突き進んだ歴史を省みるあまり、『宗教』から疎遠に育ってきた。

  家に仏壇や神棚があって、手を合わせはしても、その宗教的意味を理解している両親のもとで育った子供は稀であろう。

  そういつた子供達が大人になり、ひとたび困難に出会った時に、精神的免疫が何も無い『純朴な人々』は、一見『霊的権威』の

  ありそうな詐欺師にコロリと洗脳されてしまうのではないだろうか。

 

  私が禅の修行を始めて初期の頃、ある有名な老師の書物に『魔境』という状態が修行過程のなかで起こることを戒めていた。

  今それをググると、『禅の修行者が中途半端に能力を覚醒した際に陥りやすい状態で、意識の拡張により自我が肥大し精神バランスを

  崩した状態の事を指す』・・・と説明があるが、確かに私も自宅で独り坐禅をしていた時など、真っ暗なはずなのに、私の周りだけ

  明るくなったり・・・とか何度かあった。こういった事が『魔境』なのだろうと自覚していた私はそれを取り合わずにいた。

  ましてそれが、仏様や菩薩様に見えようなら『叩き潰せ!』と古の禅師たちは口を揃えて言っている。

 

  ほかの宗教はしらないが、『禅』は超常現象というものをまったく『一顧だにしない』・・・という教えが有り難い。