このシリーズをだらだら書くつもりはなく、どうしようか・・・と思案していたら『起承転結』の四文字熟語を思い出し、即採用。
で、この3回目は『転』となったが、果たして私の人生の『転機』となるエピソードを展開することで、『私の写真』の究極の意味にせまりたい。
鍼灸学校を卒業し、私は長年憧れていたニューヨークへ永住の覚悟で飛び立った。 使い古された言葉『アメリカン・ドリーム』になんとか
あやかりたい…という淡い希望を胸に、現地で待っていてくれる婚約者・・・金も人脈も何もない私は、男と女という不思議な引力を活用して
二人で新しい生活を切り開きたいと思っていた。この年の前年に私は一度渡米してガールフレンドができ、日本にも来てもらっていた。
真剣に結婚するつもりであったので、彼女のシカゴのご両親の家に伺った時、私にとっての『転』の事件が起こったのだ。
外科医であった彼女の父と専業主婦であったお母さんらの生活は豊かで、彼女の兄弟姉妹も皆親切にしてくれた晩餐会の後で
ご両親の若き日のスライド写真ショーを見せて頂いた。お父さんは若いときに米海兵隊員として日本の横浜に勤務し、写真は
そこでの兵役が済んでアメリカに船で帰国した際に撮影したもので、真っ白の海兵隊員、士官兵の制服と女優のように美しいお母さんの
幸せそうな二人が写っている写真は見ていても眩しいほどであった。
まるでリチャード・ギア主演映画『愛と青春の旅だち』のワンシーンを見ているようであったのだが、その時私は眩暈のような感じがし
何故かわからないが、それが結婚することに躊躇する原因となったようなのだ。
結果的に、私はアメリカに半年もいただろうか、その後スイスでの一年を経由して日本に戻り、本格的な『禅修行』に打ち込むことになった。
長い間、私は自分の中で何が起こったのか、アメリカで起きた出来事の意味がわからず
彼女に対して理不尽な行動をとって、罪なことをした自分を攻めるのだが、いつも最後には、あの時はああせざるを得なかった…という結論であった。
後に禅書で、ある禅の公案に出会った。
いまその公案の詳細は忘れたが、『 修行に行くつもりの青年が、途中で美しい女性と出会い、結婚することになった・・・、で幸福な人生を送って
死の床についた時…そこで、夢から覚める 』というようなストーリーであったが、これを読んだ時、私はあのアメリカでの謎が解けた気がした。
あのスライドに映った彼女の若き日のご両親の姿・・・に、私は自分の一生を重ね合わせ、その最後までを見たのだと思う。
そして、幸せであるが、何か肝心なものが抜け落ちているような人生に、怖れを感じたに違いない・・・。
私の作品の中で、自分では傑作だと思っている作品。でも長い間、何が写っているのかわからないまとまりのない駄作とおもっていた。