拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  令和の『侘び寂び』の意義

2021年08月27日 | 観自在

  20年前に一度よんだことになっている本、ジェレミー・リフキン著『エントロピーの法則』の訳者(竹内均)まえがきをチラリと読んだ後

  リフキン氏の序章を読んでいて、私は現代における『侘び寂び』の真意とは、こういうことなのではないか…と思った。

 

  (竹内均氏のまえがきの一部を転載:)

  エントロピーの法則(熱力学の第2法則)は、現代物理学が絶対的な真理として認めているのは、この法則だけである。

  アインシュタインの相対性理論にしても、あくまで仮説であり、将来この理論を包括する原理が発見されることが、すでに予測されている。

  つまりエントロピーの法則以外の物理法則はすべて『暫定真理』と呼ぶべきものにすぎないのである。

 

  (リフキン氏序章:)

  地球温暖化と海洋の温暖化が強まることによって、台風の激しさは40%から50%も増大するという。(中略)

  地球温暖化によって、地球上のあらゆる地域の降水傾向も根本的に変化するだろう。・・・

 

  (最後にこの本の最初のページの(改訂新版のための『著者の言葉』)を転載:)

  ところで、現代文明の未来は限りなく明るいというのが、20世紀社会の常識となっていたため、本書で説く『エントロピーの法則』は

  初版時には、陰鬱なものに見えたことだろう。なぜなら、この法則は、地球の物理的な限界、具体的にはエネルギーの有限性を明確に示すものであり

  さらに、我々人間はその限界を絶対に超えられず、この法則に支配され続ける、というものだからである。だが、このエントロピーの”真理”の意味するところを

  無視しつづけることは、まさに人類の存亡にかかわる危険を冒すことに他ならないということが、次第に明白になってきた。

  本書はむしろ『希望』について述べたものである。ただしその実現は、従来の誤てる固定観念を一掃し、新しい真理と置き換えることによってはじめて可能となる。(1990年)

 

  参照の転載が長すぎたが、科学的に絶対と認められている真理『エントロピーの法則』とは、仏教でいう『諸行無常』に違いないだろう。

  『エントロピーの法則』つまり『諸行無常』の徹底理解が人類に残された道・・・と言っているわけだ。

  『諸行無常』に意識が働いた時はじめて『諸法無我』に目覚める道が開かれる。

 

  私はスイスにいるから、この夏の日本、特に西日本に異常な降雨量があったと知らされた時、異常でもなんでもなく30年以上も前に科学者たちが予想していた

  地球温暖化の影響下に起こるべくして起こった・・・のではないか、とこの本のこの部分を読んで強く思い至った。(いつもの如く遅い)

  安土桃山時代の千利休などの個人的レベルの『侘び寂び』への目覚め・・・の如き悠長な話ではなく、

  我々令和の『侘び寂び』は人類の生存のかかった深刻な問題として受け止めなければならない段階というか、すでに手遅れとも

  観える様相のもと、『コロナ騒動』が起き、人間活動に『万事休す!』を余儀なくされたことは、案外偶然ではなかったのかもしれない。

            

      我が新アパートの中庭が少しずつ整えられていく様子は毎日見ていて楽しい。(最終的に樹を植えるらしい)

  しかし、同著書の序章の小タイトルに『すべての都市計画が誤った前提に立つことの恐怖』…というのがあり、

  生まれてはじめて『食器洗い機』付きアパートに住む幸運を手放しで喜んでいる場合であるのか?

  禅修行で一滴の水も無駄にしない『活き方』を学んだ者として 令和時代の『侘び寂び』が那辺にあるのか…追究を忘れることはしない。