今日は暦の上で『お盆』だそうだが、『お盆』も『彼岸』もまったく関係なく爺になってしまって、
ましてスイスに住んでいれば尚更『なんでもない一日』にすぎない。
故郷の北海道にはそういった習慣がないのか?あるいは私を育ててくれた育ての親の家にその習慣があったのかどうか?
実の母親の家には仏壇はなかったが、私と姉の間に生まれた娘(赤ん坊の時死んだ)の位牌だけが家にあったのを覚えている。
(母は生前、その位牌について一言も話してくれなかったが、姉が後年教えてくれた)
高卒後、故郷を離れてもお盆に帰省する発想がなかったから、適当に都合のいい時に母に会いに帰省したものだ。
『お盆』が先祖供養の風習であることは、チラッと聞いたことがある…という程度の認識で生きてきたから、その意味では本当に親不孝、
それに付け加えて友不孝な私であった。
しかし、私の中で『彼岸』が、今生きている私達こそが今ここの此岸からかの彼岸(偉大なる智慧の完成=悟り)へ渡る事こそが
『お彼岸』に込められた仏の請願である…と、確信するいま、『お彼岸』や『お盆』の供養の意味も大きく違ってくるように思える。
しかしそれにしても、私は親不孝者であることからはま逃れないことは自覚している。