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日経 私の履歴書 11月19日(抜粋)寺澤芳男(18) MIGA長官 (抜粋)

2011年11月19日 | Weblog

日経 私の履歴書 11月19日(抜粋)

寺澤芳男(18) MIGA長官 (抜粋)

仏参加拒否、説得に苦労 「チームプレー」の浸透難しく

 国際機関の長官というと、「長官公邸は」とか「公用車は」とか、極端な例では「警官のオートバイの先導は」などと聞かれ、困ってしまう。そんなものはない。世界銀行グループの4番目の国際機関である多国間投資保証機関(MIGA)は、専門職21人、補佐職11人の合計32人という小さな所帯でスタートした。

 日本からの秘書官は必要ないと再三断ったにもかかわらず、大蔵省と通産省から1人ずつ私の補佐官としてワシントンに来た。2人は東大法学部の同期生だった。英語はともかく、グッドモーニングという朝の挨拶もままならない。私は東大法学部卒のキャリア官僚に、朝、職員と目を合わせて大きな声で挨拶することから教えなければならなかった。国民の税金がこういうキャリア官僚たちに使われているのかと思い憂鬱になった。

 (中略)

 一つ困ったことが起こった。フランスがどうしてもこの新しい国際機関に参加しないとごね出したのである。その理由はMIGAの憲章が英語であり、フランス語ではないということだ。(中略)

最終的には、憲章は英語だが必ず国連の保証付きのフランス語訳を添付するという折衷案を考え、コナブル世界銀行総裁からミッテラン大統領に直談判してもらった。そしてフランスはやっと参加した。言葉を大切にする国だという強い印象を受けた。

 国際機関の組織運営には日本企業にはない難しさがあった。国際機関では様々な国から職員が集まり個人ごとに仕事の成果が評価されるから、個人プレーが多い。

 MIGAでも職員は長官の私のところに面会に来て自分のパフォーマンスをさかんに強調する。私はMIGAはまだ生まれたての赤ん坊だからみんなで育てていこう、それぞれの人が分担された仕事をよくこなしていけば必ず全体としての成果も上がるというような説明をするのだが、わかってくれなかった。

  

 (中略)

 ミッションは1カ月以上に及び、帰ってきたら1晩で10枚くらいのリポートを書かなければならない。日本人の職員はこのリポートがなかなか書けず、やはり英語圏の職員の方がその点では優れていた。今後日本から国際機関に出向いて働く人たちの英語学習は、話したり聞いたりすることも大切だが、書いたり読んだりすることも重要だと思う。

(元米国野村証券会長)


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