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検索@現代=反知性主義 弱肉強食社会の切迫感

2015年09月21日 | Weblog
検索@現代=反知性主義 弱肉強食社会の切迫感
信濃毎日新聞2015(平成27)年7月16日
 
 理性的判断や論理的思考よりも目先の利害を優先し、空気を読んで大勢に迎合する―。そんな人々の振る舞いが論壇で「反知性主義」と呼ばれ、その広がりが懸念されている。子どものいじめから政治家の言動まで、多様な局面で指摘される風潮の内実を探った。

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 「自ら思考を停止させ、とにかく全体に従おうとする空虚な人間が、保身や憂さ晴らしを目的に弱者を抑圧している」。京大教授の藤井聡さんは近著「<凡庸>という悪魔」で、現代日本を覆う全体主義の脅威を論じた。「反知性主義とされている現象も、全体主義とほぼ同じとみていい」と話す。

 病理の源流は70年前の敗戦にあるという。「義、仁、誠、恥といった戦前の価値が否定され、むき出しの本音を知性で押さえ込む『建前』という営みが空洞化していく。最後のとりでだった戦前世代が1990年代に現役を引退し、倫理のたがが外れてしまった」

 歯止めを失った欲望が全面展開した結果、少数派をいたぶる「いじめ」が横行、我田引水の改革がブームとなり、成果のためなら手段を選ばない新自由主義が定着したとみる。「正直者がばかをみる世相に逆らうのは難しい。弱肉強食の格差社会が反知性の流れに拍車をかけている」

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 「理屈をこねずに結果を出せという物言いが力を持つのは、誰もが最小のコストで最大の便益を得ようとする大衆消費社会の宿命」と言うのは、立教大特任教授の平川克美さんだ。昨今の反知性主義は、損か得か、快か不快かで動く消費者心理の表れでもあると説く。

 その意味で、守旧派との闘いを演出した小泉純一郎元首相、既得権をたたいて支持を得た橋下徹大阪市長は、複雑な問題を単純化し、二者択一を問う明快さが時流に適合したと分析。他方、安倍晋三首相は「自分に近い学者は利用するが、批判する学者は黙殺する。反知性というより知性に無関心で、自説への執着はもはや信仰に近い」。

 ただ、集団的自衛権の行使容認をめぐり変遷する国会答弁をみても、首相の背後に反知性的な「知恵者」の存在を感じると平川さん。「難解な問題を好まない世論の弱点を見抜き、巧妙に批判をかわそうとする思惑が見え隠れする。分かりにくい問題にはそれ相応の意味があると、分かりやすく語る知性が欲しいのだが…」と苦笑い。

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 一方、反知性主義と名指すこと自体に、知性の変質を見て取る向きもある。大阪府立大教授の酒井隆史さんは「高みから相手をばか呼ばわりするような知性とは何か。気に入らない他者を打ちのめし、おとしめる道具になりさがってはいないか」と鋭く批判する。

 厳しい市場競争の中で目先の勝負に勝ち続けなければならない切迫感からか、歴史的経緯とも社会的背景とも断絶した安易な言説がまことしやかに流布され、物事の本質を見えにくくしていると指摘。多数派や強者に身を寄せ、声なき少数派に冷淡な言論人が目につくと警鐘を鳴らす。

 知性が「強者の道具」と化したとすれば、必要なのは素朴な生活実感に根差し、反権力を掲げて弱者を支える「真の反知性主義」なのかもしれない。

<元来、健全さ示す指標>

 国際基督教大教授の森本あんりさんの近著「反知性主義」によると、反知性主義とは元来、米国特有のキリスト教の歴史から生まれた思想潮流で、宗教的権力の傲慢(ごうまん)を打破し、新たな知の可能性を開くなど、社会の健全さを示す指標となってきた。

 こうした前向きな反知性主義を日本で担うとしたら誰か―。インテリを疑い、権力にこびない映画「男はつらいよ」の寅さんか、仏教界に革命を起こした空海や親鸞か、堀江貴文さんや孫正義さんら型破りの起業家も候補になると森本さん。田中角栄元首相の名前も挙げ、読者の想像力を刺激している。


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