三木正夫 好きです須坂! がんばろう!

信州須坂から徒然なるままに様々なことを書き記してまいります。

真の勇気とは。「決断の勇気」

2007年12月28日 | Weblog
 太平洋戦争で日本と東南アジア諸国との間で生まれた戦争孤児や混血児を支援するために設立された「財団法人東南アジア文化友好協会」は、現在、日本と東南アジア諸国との文化交流や民生と福祉の向上に寄与することを目的として活動しております。
 この財団の大野克美理事長さんは、(株)万座温泉ホテルの社長さんでもあり、奥様も須坂市に縁のある方であります。
 大野克美理事長さんが、財団の機関誌に、「決断の勇気」という文章を掲載されています。

(引用)
NEW第84号「決断の勇気」   理事長 大野 克美


今回から東南アジア文化友好協会の創設者である加藤亮一牧師からの学びを連載します。加藤亮一牧師は明治43年生まれで、九州の出身、久留米商業を経て牧師となっております。平成3年のクリスマスの日に天に凱旋しております。81年間の生涯を神様の守りのなかで過ごしたことになります。加藤牧師の生涯の働きを見ると、ほとんどの働きは「償いの業」に費やされました。加藤牧師の人生の中で大きな転機は、第2次世界大戦中に、軍部からインドネシアに牧師として派遣されたことにあります。このことは日本の歴史の中で大変珍しいことであります。最近ではアメリカ、ヨーロッパの人達が大変興味を持っています。

「日本の軍部が兵士を戦場に送るのは理解できるが、キリスト教国でもない日本が牧師を戦場に送るのは理解できない」と尋ねる方が多くいます。加藤牧師はインドネシアのアンボン島に派遣されました。アンボン島は地図で見るとジャワ島とニューギニアの中間で東ティモールの上に位置します。当時のアンボン島はオランダに支配されていました。アンボン島はとても良い港を持ち、貿易の中心地でもありました。この周りのマルク諸島から胡椒などの香料を集めヨーロッパに輸出をしていました。インドネシアはイスラム教が90%以上を占めますが、アンボン島と隣接するサパルア島は大変キリスト教色が強い島です。アンボンの現地の人たちは黒いオランダ人とも呼ばれていました。加藤牧師は現地の人たちと新生道場という聖書の学びの学校を開きました。インドネシアが後にオランダから独立することになりますが後のインドネシア独立後の国を支える指導者もこの新生道場から影響を受けた人達が出てきます。

戦争という非人間性が最も強く出る中で、心を痛める事件が発生します。日本も敗戦の色が濃くなってきた時、軍部は当時外国から来ていた慰安婦を返してしまいました。その代り、誰の考えか分かりませんが、現地の娘さんを拉致して慰安婦にすると言う案が出てきました。軍部の人は加藤牧師に向かって「先生、今は戦争なので非常事態ですよ。良いとか悪いとか言っている場合ではないですよ。命令に従わないなら例え牧師であろうと処分しますよ」と脅しをかけるわけです。この案は誰にも知られたくないので真夜中に実行となりました。加藤牧師はあわてて拉致の現場に向かい実行部隊のY軍曹の前に立ちはだかり「この娘さんたちを連れていくなら、まず私を殺してから行け、人間として私は許さない」と気迫のこもった大声で叫んだためY軍曹も引き下がったそうです。戦争は人間を野獣化させるものです。人間が非常時に立った時このような態度が取れるものでしょうか。 

 現在の平和の時代に暮らす私たちはこのような非常時の場面に接することは少ないかもしれません。リーダーの品格はどこの国でも問題となっています。非常時における決断の勇気に学びたいものです。



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