鉄人 須藤 將のホームページ

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ロータリーエンジン開発物語 その14

2010-01-14 02:36:43 | 車・バイク
御召列車は、他の部所の人を犠牲にする可能性があるということで、制度として「すぐやる課」が試作の中に設置された。
「すぐやる課」は、ロータリーエンジンだけでなく、全社的に対応した。
そこでは夜中にきてやるとか、昼休みに加工するとか、声がかかったら即座に作業に入れる体制が組まれていた。

製造部の組立のチームが、われわれに黙って、組立て終ったら、自発的に自分達でバラしてチェック、検討している。第2ロータリー研究部って影で言われた。実際にそいういうことは組織上やったらいけないのだが、ロータリーエンジンにいろいろ問題点があるということを知っているものだかから、ラインの片隅でその改善のためにメンバー引っこ抜いて自発的にやって、いろいろ試作品つくって提案してきた。当然、正式な第1ロータリー研究部と、いざこざが起きた。なんだ“コノヤロウー!”てこともあったが、よい刺激になった。研究部と製造現場とが一丸となってやっているといった一体感があった。

開発したロータリーエンジンを実験にまわして耐久テストをするとき、トランスミッションをつけなければならない。普通の量産乗用車のトランスミッションだと、すぐに壊れる。
ロータリーは回転が高いので、特定のトラックのトランスミッションを高速化に対応するように設計して、エンジンと一緒に作っていた。

大関は、そのときミスをして、トランスミッションのギヤシャフトの諸元を間違えた。
明日からテストするので、急遽、すぐに図面書き直した。ところがトランスミッションを作る工場は量産工場で、試作部品はすぐに作れない。そしたら、そこの職長がよく話を聞いてくれて「よしわかった、昼休みにやってやろう」と。昼休みにわざわざ、段取り変え(生産工程の変更)をしてやってくれた。大関はこれには感激した。

ロータリーエンジンには手本がなかった。
何が起こっても、次にどうやってもっていったら良いのかという手本がない。

レシプロエンジンは何百とある大学の先生が論文を書いている。かなりの課題について研究してくれている部品メーカーもある。
しかし、ロータリーエンジンに関してはまったくない。
すべて自分たちでやらなければならなかった。

当時、“専門家”という言葉がはやった。

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