鉄人 須藤 將のホームページ

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1月7日己の足跡

2010-01-07 07:33:05 | 日記
ロータリーエンジンの開発が本格的に始まった。当時の開発は未知のものへの挑戦から来る苦しさ、油まみれで汚い、残業・徹夜のきつい疲れ、いわゆる3Kである。現代の若者から嫌われる3Kも当時の若者にとっては苦ではなかった。こうした未知へチャレンジが面白くてたまらななったのである。

そこには、良い地位えて沢山の給料を得るという考え方は存在していなかった。
未知のものへの挑戦が己を高ぶり、高揚させていく。

しかし18歳で上京した当時はこんな高尚なことばかりを考えていたばかりではない、現在と同じくパチンコ屋もあった。このパチンコは当時学生であった私にとって大変ありがたかった。コンビーフ(当時は高級品)を手に入れる手段であった。玉は1発ずつでその弾道が確認できた。目標はコンビーフ2個以上、投資額を100円に定め、それ以上は望なかった。コンビーフ2以上になる止めて食料を確保した。

私は、自動車のエンジニアになりたくて、早稲田理工学部に入学し、熱力学研究の大家の関研究室に出入りした
運良く、1学年の秋、早稲田で学生を教えながら、三菱自動車のエンジニアをしておられる山中明先生と出会って弟子入り果たした。

卒業までの4年間を振り返ってみる。

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