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ロータリーエンジン開発物語 その7

2010-01-07 06:29:08 | 車・バイク
「材料、これが非常に大きかった。材料屋に修羅場に入れといったときに、材料の連中がエンジンの勉強をする。そして提案をする。ここはこうしたほうがいいんじゃないかと。部品の材料以外を含めて。こんどは機械屋が、電気屋が、材料を研究して、材料はどうだ、これはどうだとかやりだす。これは非常に日本的だ、自分のカテゴリーを超えて、内政干渉というか、お互い提案しあう。そういう雰囲気ができてきたことが、非常によかった。また、ロータリーエンジンの研究開発で、そういう新しい技術開発の土壌をつくることができた。」と後に語る。

1963年 4月、ロータリーエンジン研究部が発足した。

部長の山本健一を入れて総勢 47名、部員の顔に不安はなかった。いや、むしろ新しいものへの挑戦に対する意欲が感じられた。

「今日からわれわれ四十七士は、研究室を我が家と思い、ロータリーエンジンが完成するまで、寝ても醒めてもロータリーエンジンのことを考えてほしい。苦しいことも多いだろうが、そのときは赤穂浪士の苦労を思いおこして・・・・」と山本健一は、部員を前にして挨拶をした。そのとき以来「寝ても醒めても」がロータリーエンジン研究の合言葉になった。

四十七士が悩んだのは、どこにもサンプルがない。レシプロ・エンジンというのは百数年前に出現しているから、数も多いし、いろんな種類が出てきている。いろんなデーターの中に絞られて現在がある。ロータリーエンジンはどこにも例がない。行ったら崖下に落ちのではないかって気がする。先のわからないプールを泳いでいるのではないかっていう気がしてくる。
ロータリーエンジンの開発を始めたときに、トラブルを起こしても、なぜ起きたかが分からない。レシプロ・エンジンだったらよそのを調べて、なるほど、こうしなきゃいけないんだとか、おそらくこうだって見当がつく。ところが、なぜ起きたのかというのが分からない。
だからその時、ロータリーエンジン研究部でやったことは、再現しようということだった。そのトラブルを実験的に起こそうと。再現できたら解決できる。再現できなかったら、解決できない。いろんな条件を組み合わせてトラブルが起きたときには、なるほど、こういうことなのかと手が打てる。新しいモノづくり、挑戦するってことがいかに苦労することか。
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