鉄人 須藤 將のホームページ

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RX7物語その53

2009-09-14 05:29:38 | 車・バイク
小早川主査はモータースポーツ主査を兼務しており、1991年のル・マンにむけての787の開発で操縦安定性の問題がクローズアップしたとき、貴島にFD開発チームでスーパーコンピューターによる解析を依頼した。その結果、構造に問題があることが判明し、すぐにその対策を行い、総合優勝につながった。

787B がル・マンで総合優勝を飾った1991年10月に、FDは日本を皮切りに好評裏に市場で受け入れられ、同年設立されたRJCの第1回カーオブザイヤーを獲得した。
しかし、米国市場は、一時90円を切る円高の進行、自動車保険料の継続した高騰、SUVへの価値観のシフトなどにより「高性能スポーツカー冬の時代」が到来、1995年には対米輸出を中止するにいたった。


1996年、FDは小早川主査から、貴島主査にバトンタッチされた。
扁平比40、45のタイヤの導入、ロータリーエンジンの10psアップ(265 ps)、1998年12月にはFDの最終エンジンとして280 psのロータリーエンジンが搭載された。

2002年8月をもってFDの生産が終了することが経営会議で決定された。
貴島主査は、生産終了を記念する最後のモデルを企画することを始めた。
スピリットRである。最新の技術を織り込み、スポーツカーの魅力をたゆまなく進化させることが商品育成のあり方であり、それを強力に実践するのが主査の使命と考え、貴島主査が邁進してきた最後のプログラムである。3世代で80万台に迫る生産台数のRX-7の歴史に残るモデルにすべく、引き継いできた“スピリット”を開発のコンセプトとした。
スピリットRには、RECARO製のバケットシート、BBS製ホイール、BILSTEIN製ダンパーを採用した。ブレーキの剛性感のあるフィールを確保するためにフレキシブルホースをステンレスメッシュ化し、ブレーキディスクもドリルドとした。エンジンルームにシリアルナンバープレートが装着された。

本社、宇品工場でRX-7最後の生産車スピリットRのラインオフは、全国から駆けつけてきたファンの立会いの中、盛大に行われた。
その席で、貴島主査は、「RX-7の商品としての魅力提供は小休止するが、RX-7の“Spirit”は不滅である」と断言した。



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