鉄人 須藤 將のホームページ

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ロータリーエンジンとモータースポーツ その4

2009-07-24 02:29:14 | 車・バイク
R-100のデビュー戦は、ヨーロッパのレースへの参戦を前にウォーミングアップの意味で参戦した1969年4月のシンガポールGPは、強豪がいないため快勝した。
このときのレーシング10Aエンジンは、195bhp/9000rpmであった。このレースの予選で新開発の排気抵抗の少ないメガフォン・マフラーをテストしたが、ロータリーエンジンどくとくの激しい排気音の共振でマフラーに亀裂が入るため不採用になり、本番では高熱にも強いステンレス製のストレートパイプ2本で走行した。

いよいよツーリングカー・レース本場、ヨーロッパへの参戦である。1969年7月のスパ・フランコルシャン24時間レースに2台のR-100が出場した。
エンジン担当の松浦は、エンジンの耐久性を重視して最高回転数を8500 rpmに抑えることにした。これにより、レーシング出力は187bhp/8500rpmとなった。
レースは、当然シンガポールGPのようなわけにはいかなかった。レース中にオイルトラブルが発生した。空冷オイルクーラーとエンジンを結ぶ銅製のパイプに亀裂が入りオイルが漏る。オイルクーラーをバイパスさせ、高油温対策としてあるメンバーから提案された粘度の高いオイルを使用することで、2台のR-100は走りきることができ、総合5位、6位入賞を果たした。首位を占めたのは、本来はスポーツカーであるのだが形だけのリアシートを持つポルシェ911であった。

1969年のマラソン・デ・ラ・ルートには、耐久性を重視した178bhp/8000rpmのレーシング10Aエンジンを搭載した3台のR-100が出場した。
このマラソン・デ・ラ・ルートは、まったくついていなかった。最初のトラブルは、1台のクルマの燃料タンクに穴が開いてガス欠で走行できなくなった。続いて雨中コントロールを失いコースアウトしてリタイア。残るい1台も、雨中走行でマフラーのブラッケットが雨水によるサーマルショックのため破損してしまった。約50kgもある大きなマフラーをブラブラさせながら走行するR-100にたいし、フラッグ・マーシャルより修理命令が出された。マフラーをワイヤーで固定する作業は以外に時間を要したため、その後はサービスエリアでドライバー自身がワイヤーを締めなおすように指示を出した。これは、ドライバー自身がサービスエリアで行う作業はピットストップ時間に加算されないルールであることを利用した。その後力走を続けるR-100をまたもや新しいトラブルが襲った。排気マニフォールドにひびが入り、ただでさえ大きな排気音がとても耐えられない大きさになった。再びフラッグ・マーシャルから修理命令がが出された。トラブルの発生したローター側のメインジェットを塞ぎ、シングルローターで走行させ、隙を見てツインローターに戻し、しばらくするとまた注意されてシングルローターにするという作戦をドライバーに授けた。ドライバーは見事にこの作業をこなし、総合5位を獲得した。数々のトラブルを克服して獲得した総合5位は、松浦にとって忘れがたいものとなった。

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