鉄人 須藤 將のホームページ

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世界戦略車種アクセラその2

2009-07-24 02:33:28 | 車・バイク
アクセラのルーツは、1963年10月に販売開始した「ファミリアバン」だ。マツダ(当時は東洋工業、84年にマツダに社名変更)は31年に、オートバイの後部に荷台を取り付けたようなオート三輪で自動車生産に乗り出した。58年に小型4輪トラック、60年に初の軽自動車「R360クーペ」、62年には軽4ドアセダン「キャロル」発売と、徐々に総合自動車メーカーへと脱皮を図っていた。この時期すでに本格的な乗用車として、800ccのエンジンを積む小型乗用車ファミリアの開発が進められていた。

 そして63年に、小型商用車のニーズが高いという市場調査の結果から、まずライトバンタイプのファミリアバンを発売する。この判断が当たり、ファミリアバンは月5000~6000台を販売するヒットモデルとなった。この台数は、当時の「ダットサン・ブルーバード」、トヨタ「コロナ」を上回る数字だ。

64年4月に乗用タイプの「ファミリアワゴン800」、10月に4ドアセダンの「ファミリアセダン800」、さらに12月にピックアップトラックの「ファミリアトラック」を追加。そして翌65年11月にはエンジンを1000ccに拡大したスペシャリティーカー「ファミリアクーペ1000」を追加して、ラインアップを充実していく。

67年11月に2代目ファミリアへとフルモデルチェンジし、68年6月にはマツダにとって「コスモスポーツ」に続く2台目のロータリーエンジン搭載車「ファミリア・ロータリークーペ」が登場。そして70年4月のビッグマイナーチェンジでは、3代目の前身となる上級モデル「ファミリア・プレスト」を発売した。73年9月に登場した3代目ファミリアには、引き続き「プレスト」のサブネームが与えられた。

ファミリアシリーズとマツダにとって、大きな転換期となったのは73年の第一次石油ショックだ。主力商品だったロータリーエンジン搭載車は当時、高出力だったが燃費性能が低かったため、販売が激減する。

この経営危機を乗り切るために、マツダは開発コード「X508」と名付けた小型車を、当時の業界の常識を破る2年で開発した。この「X508」を、4代目「ファミリアAP」(APはAnti Pollution=汚染防止の意味)として1977年1月に発売する。駆動方式はFRだが、ボディー形状は当時の小型車の主流となりつつあった2ボックス・ハッチバックで、欧米でも好評で販売台数を伸ばして経営危機を乗り切った。

この短期間で開発した4代目ファミリアと並行して、マツダ社内では、本格的なコンパクトカーのパワープラントとして、フロントエンジン・フロントホイールドライブ(FF)のパワーユニット開発を進めていた。

つづく

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