鉄人 須藤 將のホームページ

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ロータリーエンジンとモータースポーツ その42

2009-08-31 06:45:21 | 車・バイク
本社に帰り、報告をした。「ドライブシャフトの疲労破壊がリタイアの原因です」と話すと、「すぐに現物を取り寄せよ、材料研究部で分析させる」とのこと。現物が届いた。分析の結果熱処理、焼入れが浅く十分な耐久性が確保されていないことが判明した。早速、材料研究部の指導で来年用のドライブシャフトが製作された。
ドライブシャフト以外の各部品についてもマツダ本社のチェックが入り、来年に向けてマシーンの完成度は急速に高まった。


マツダ・スピード・チームは、完成度の高まったマシーンを昨年と同じ757として1987年のル・マンに出場することにした。
昨年と同様にTカーを含めて3台の757が予選に出走した。ダンロップ・ブリッジ手前にシケインが新たに設けられ、路面も大幅に変更されていた。バンピーな路面に合わせたソフトなセッティングのサスペンションは意味をなさず、新設シケインでミッションの3速ギア比が高すぎて変更が必要になった。予選1日目はコースに合わせたマシーンのセッティングに専念し、2日目は本番に合わせたセッティングを行い、タイムアタックは行わなかった。順調にマシーンが仕上がり、チームには、確信が芽生えた。
スタート前のランチ・オン・パーティで、寺田と従野が順調に行けば5~8位は狙えるとスピーチして、集まった人を驚かせた。
スターティング・グリッドは14列、201号(片山/寺田/従野)が27番手、202号(ケネディ/ギャルビン/デュドネ)が28番手であった。この様に僚友同志が並ぶということは、マシーン、ドライーバー、チームの戦闘力が揃っていることを意味している。
ローリングスタートは、雨のため特別に2周。前の車が見えない水しぶきの中で24時間がスタートした。雨が上がり、走行レーンは乾き始めた。1回目のピットインでは、全車レインタイヤからスリックタイヤに履き替えてピットアウトしていった。
1時間目で、201号が13位、202号が17位、1時間目で、201号が10位、202号が13位と順調に順位を上げていった。それまでの、時間当たり14周を15周にペースを上げた。
午後6時を過ぎたとき、片山がエンジンがパラつくといってピットインしてきた。寺田が変わってエンジンの調子を見るためにピットアウトしていったが、ストレートでパラパラきて明らかにおかしい。大橋監督と大原テクニカルマネージャーが協議して、リタイアすることに決定した。201号のピットクルーも202号をサポート、チームは一丸となって残る1台に全力を投入した。片山、寺田、従野も引き上げずにピットでケネディ、ギャルビン、デュドネを見守っている。
3時間目には9位、4時間目には8位、6時間目には7位まで上がったが、ワイパートラブルで8時間目には9位に後退、さらにワイパーアームの修理で9時間目には13位に後退したところで、ギャルビンが新設シケインを走行中、左リア・サスペンションのアッパーアーム溶接部が破損、3輪状態でほとんど1周してピットにたどり着いた。約20分で修理して、10時間目には13位をキープ。11時間目には11位、12時間目には9位、13時間目には一時10位に後退するが、14時間目には9位になり16時間までキープ、17時間目から19時間目まで8位、20時間目には7位回復した。7位をキープしたまま力走を続けケネディがゴールした。
日本車で史上最高の総合7位、IMSA GTP/GTXクラス優勝を手にした。
これ以上の成績を望むには、C1クラスの車両と同等の600phpのエンジンが必要である。

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