鉄人 須藤 將のホームページ

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RX7物語その42

2009-08-31 06:41:41 | 車・バイク
デザイン本部長の福田は、「日米の両モデルに決定的な差はない、いずれも革新に挑戦しているが、見るものに切々と伝わってくるものがない」と厳しい評価であった。

どちらの案でいくか結論が出ないまま、両案のフルサイズクレーモデルを煮詰めていくことになった。
広島本社スタジオに、チン・ウーファンデザイナーとマーク・ジョーダンデザイナーが滞在し、MRA案のフルサイズクレーモデルを開発。隣では日本案のフルサイズクレーモデルが開発され、約3か月で完成した。

しかし、最終案を決定する材料が揃わなかった。
米国市場調査では、米国案を支持する声が多かった反面、マッシブな印象が強すぎるという反応が少なからず見られた。日本案は、日本及び米国の調査で同様に好き嫌いが分かれた。
デザイン開発のリードタイムが切迫する1988年4月、福田デザイン本部長は「2案を合体せよ」と指示を出した。「基本デザインは米国案で行く、しかしこのままでは将来に対する提案性に欠ける。プロポーションの練り直しとアップデートが必要だ、全体をもっとスッキリさせたい。それには日本案の持つ特徴を大いに反映させたい。君ならできるはずだ」と佐藤チーフデザイナーに指示した。
早速、佐藤チーフデザイナーは合体作業を、メイン市場であるアメリカの生活と現地の空気の中で実感をもってデザイン開発推進するためにMRAスタジオで行うことにし、広島本社デザイナーとMRAデザイナーの混成チームを結成した。この混成チームは予想を超える成果を生み出した。

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