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(07/06/01)

ゲド戦記

2006年07月30日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
7月29日公開の「ゲド戦記」を観て来ました。
原作は全5巻+外伝の計6冊。これをシリーズ化ではなく単発の映画にしよう、ってこの時点で変になってきていると思うんですけど。結果から書くとゲド戦記の3巻の映画化でした。とはいえこれだけでも映画の尺には収まらないボリュームです。そして案の定、説明不足と美味しいところの切り貼り、原作を知らなかったら特に最後は意味不明だと思いますよ。予告編でも観た主人公と竜が顔を寄せ合うシーン、あの竜の正体が実は○○○だとは思わないでしょうし、そもそもあそこで竜に化ける必然性がどこにもありません。あの絵を見せたかっただけでしょ。
それでも前半はまだちゃんと説明があったんです。場合によってはくどいと感じるくらいに。それなりに伏線を引きつつ世界観を、時にセリフによる説明で、時に絵と歌を使って叙景的に。
映画を観ていると時々丸々一曲聞かせるための場面があって、それが良し悪しだったりするのですが、「テルーの歌」の数分は実にいい感じでした。これ、作曲が谷山浩子だそうで。ご本人の方が手嶌葵よりもこの歌にあった声のような気がします。それを容易に想像出来てしまうほど谷山浩子っぽい曲です。
割りといい雰囲気で中盤まできて、急に息切れしたというか、投げやりになったというか、広げすぎたとも思えない手頃なサイズの風呂敷すらしまいきれなかったというか。
特に「影」について原作では(アレンの影ではなくハイタカのですが)1冊まるまる使って描かれているこの世界の重要なキーで、アレンが怯えたりしてさんざん伏線を引いた割には寂しい描き方でした。
もう1つ気になったのは、ジブリ作品では常ににゃんこがかわいいという特長があると思うのですが、王妃が抱いてたにゃんこがぬいぐるみのように無表情でした。駿監督が異常ににゃんこに思い入れを持っているだけならいいのですが、吾朗監督の細部の手抜きの現われだったら残念です。
とはいえ説教編の予告編ほどひどいわけでもありませんし、吾朗監督への世襲やっかみまじりの罵倒をされるような出来でもないと思います。変な思い入れがなければ劇場で観るべき要素を含んだ劇場アニメとして、意外にも評価してもいい作品だと思いますが、そのためには3つの能力が必要です。
まず一つは直接描かれてはいないがらも間接的には描かれている、例えばハイタカの真の名がゲドであるとか、その辺を読み取れる読解力。もう一つは真の名を知られるとなんかイヤだ(日本にも忌み名なんてものがありましたし、名前を知られて殺される昔話とか、最近だとデスノートとか)といった、先祖代々普遍的に受け継いできた人間としての感覚。そしてアレンの親殺しって要するに吾朗監督の駿監督越えを象徴してるんだろうな、といった相手の立場に立った思い遣り。

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2 コメント

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少し空いてから (葛葉)
2006-07-30 15:20:58
劇場は人の入りはどうでしたか?

僕は少しほとぼりが過ぎてからゆっくり行こうかなって思っています。

原作を読んだ事がないので妙な先入観がなく楽しめるんじゃないかと楽しみにしています☆
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Unknown (わてが丁稚の定吉だす)
2006-07-31 00:26:39
客入りは初日レイトショーという同じ条件で観た有頂天ホテル並みでした。花火大会に客を取られたということもあるでしょうが、今までのジブリ作品のように半年以上のロングラン、というようなことにはならないような感じですので、早い目に観た方がいいかもです。
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