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(07/06/01)

ジム

2006年09月10日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
ちょいと長い昼休みを取ってドキュメンタリー映画「ジム」を観て来ました。
決して商業的にDVD化されることもないだろうこの作品、ただ1回の上映を見逃したら2度と縁のないものとなってしまう、そんな気持ちでした。
静岡出身の山本起也監督の唯一の作品で、実際に自分でも入門したボクシングジムでの人間像を描いたドキュメンタリーです。
ボクシングのドキュメンタリーは、それこそテレビ中継されるタイトル戦を盛り上げるネタとして、あるいは夢を追う若者を描いたドキュメンタリー番組の定番として、決して珍しい題材ではありません。しかしこの作品がそれらの番組と一線を画すのは、無名のボクサーたちが仲間には見せてテレビクルーには見せることはないだろう表情が描かれていることです。
特に試合前、試合後の控室にはなかなか入れるものではありませんし、入れたテレビ映像を観たところで、所詮それはよそ行きの表情でしかないと思わせるものがありました。
全124分、前半はかなり冗長な印象を受けました。ジムの日常の表情、こういった雰囲気をうだうだ描いていくストーリーなき作品かとしばらく思ってたくらいです。もちろん雰囲気を伝えるために動きのない長回しの場面があってもいいでしょう。ただそれ以上に、意味なく長い場面が多すぎます。例えば電車を見送る場面にしても、発車してから視界から消えるまでをリアルタイムに映すメリットはどこにもないと思います。
観る者が緊張感を欠き始めた頃にやっと物語が動き始めます。
プロボクシングの世界はある意味、高校野球の世界に似ています。ごく少数の勝者と圧倒的多数の敗者。試合を重ねていくごとに一人ずつ消えていきます。
そして最後に残った一人、引き分けで新人王になった矢原隆史の、この作品でのラストも引き分けでした。しかし、この試合の後に彼がどうなったかは嫌でも想像が出来るように描かれていました。
しかし矢原って試合前にかき氷の機械を買ってきて会長に注意されたり、気分屋でミラクルを起こしたり、高橋留美子の「1ポンドの福音」を見てるようでした。
この作品の最後の矢原の試合のカメラワークは、見たこともないボクシングの映像でした。普段は目に見えないといってもいい打ち合いを、時にスローでどんなパンチをどうガードしてどんなパンチがどう当たっているかを逐一克明に見せ、時に周りをまったく見せないドアップ選手が感じているであろう熱気と迫力とがむしゃらさを余すところなく伝え、後方の客席からは思わず夢中になったおばちゃんが思わず反応して出した声が聞こえました。

医療が死との戦いであるなら、それは敗北の歴史である、というようなことを言ったのはスーパードクターKですが、夢破れて去ることが敗北であるならば、全ての戦いは敗北への道であり、人生の全ては絶望のタネということになってしまいます。
この作品では、夢とは身のほど知らずの若さが見せる一時の幻想のように、夢破れることを一種の哀愁として描いているように見えます。山本監督自身が夢を追っているはずなのに、なぜこうもネガティブな雰囲気に見せてしまうのか、実に納得のいかないところです。

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1 コメント

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ひそひそばなし (mam)
2006-09-10 22:44:07
>定吉はん

長い休みって・・・あぁ~た。(爆)

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