2003年12月31日、サーリセルカから空路(イヴァロ発→キッティラ経由→ヴァンター着、やたら時間がかかった。)でヘルシンキへ移動し、大聖堂(Tuomiokirkko)で行われる新年祝賀式を見に行った。
23時を過ぎた頃、ヘルシンキ駅の近くにあるホテルを出て、アレクサンテリン通りを歩いて大聖堂に向かった。
近くまで来ると、さすがに人だかりが多くなってきたが、『おやっ?』と思った。
大聖堂の前にある元老院広場(Senaatintori)の中央部には、あまりが人が集まっておらず、大聖堂をコの字に囲むように人が集まっているのだ。
なんでだろうと思ったが、その時が来るに従って、そのわけが分かってきた。
元老院広場の中央にいる人たち(若者が中心)が連発花火を手に持って、シュッ、シュッと打ち上げているのだ。(大きい音はしなかった。)
広場の中央に陣取ることは、危険なことなのだ。
また遠くの方では、本物の打ち上げ花火が上げられているのだが、花火に目が肥えている日本人にとっては、“寂しい”としか見えない。色も単色で仕掛けらしいものもなく、とてもシンプルなのだ。フィンランドっぽいといえばそれまでだが。
いよいよ、セレモニーが始まった。ヘルシンキ市長の挨拶、フィンランディア讃歌、国家「わが祖国(maamme)」の合唱などが行われ、0時を迎えた。
鐘が打ち鳴らされ、新年になった。が、新年を迎えるとほどなく、人々は散り散りになり始めた。その素早さには、面食らってしまった。余韻を味わう間もないのだ。
次に私は彼らの行動に注目した。
多くのヘルシンキ市民が次にどのような行動に移るか?
それは、私がホテルに戻る道すがら、回答が得られた。
若者を中心とした多くのヘルシンキ市民は、夜間も営業する店にどんどん吸い込まれていった。
フィンランドではクリスマスは家族と過ごすことが知られているが、この日は親しい仲間たちと新年を祝う杯を重ねるようである。