香田証生さん殺害シーンを語ることの意味について
案の定というか、香田さん殺害の写真と動画が流出した。韓国人が拉致、殺害されたときも動画まで流出していたので、予想の範囲ではあった。
ただ予想ができていたからといって、衝撃を受ける、受けないは別の話で、写真を見てしまった今となっては、見たことに対して後悔の念しかない。見ることの意義に関してのネット界隈での意見の紹介は極東ブログに譲るとして、自分の感覚としてはそれを見たからといって何か自分の中の感覚が変わるものでもなかろうと思う。
死体写真を見るだけで、死生観が変わるとも思えないし、極東ブログでも触れているように、今回の殺害シーンを見ることの意義は日本人が殺されたという一点に、より強く日本人の興味が集中しているのだろうと思う。
ただ、気になっているのは今の日本社会のイラク情勢の捉え方として、春先の3+2名の拉致・解放から橋田さん殺害、そして今回の香田さん拉致・殺害と徐々に世の中が強い衝撃に慣らされているようで、非常に強い違和感を覚える。そのような状況下にあるイラクに自衛隊がいっているという事実、そしてその意味について、世の中の反応が非常に軽い捉え方をしてるような気がしてならない。
勿論、自衛隊がいっていることが悪い、即時撤退しろなどとは思わないが、そういうところに自分の国の軍隊を送るということについての覚悟、そして論理的な議論の積み上げがないまま、「ふーん人が死んだの、あっそう、別に今のままでもいいんじゃないの」という無関心、または気に入らない奴らは潰してしまえ的な非常に底の浅い右寄りの空気が蔓延しているようでイヤな気持ちになる。(左寄りの人たちの反応はあまりにDQNなので無視)
今の現行憲法はどう斜め読みしても、国外への軍隊の派遣はできない。それを今こうやって派遣していることに対して、前提条件の設定、そしてそれが変化したときの対応、そしてその準備というものがすべて不十分なままだ。現状とそぐわないのであれば議論して憲法だって変えてしまえばいいし、政府はそのための説明を行う義務があるのではないか。
しかし今のような現状の追認、法律の拡大解釈、責任の所在の不鮮明化といったことですべての物事を先送りにして、何も決めないということは、結果的に何でもありの世の中を生み出してしまうのではないか、そうなると日本社会に倫理や道徳といった民度を測る物差しとなるものが退行してしまうだけでなく、論理的な体力もスポイルされた非常に歪な社会になってしまうような危機感があるのだ。
そうなった時の日本の将来はどうなるのか。なんとなぁく暗い世相の中、衰退していく姿を眺めていくしかないのだろうか。