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月の裏側

世界はキラキラおもちゃ箱・読者の広場。まずは規則をごらん下さい。

タツノオトシゴ

2017-08-02 06:01:40 | 動物図鑑


中傷する自己存在の隠喩。

魚類であるが、実に珍しい形態をしている。普通の魚のように横にならずに直立して泳ぐ。竜に形は似ているが、非常に小さく弱い。また、メスではなくオスが子供を産む。

繁殖行動も、オスメスが逆転したような形で行われる。メスがオスの育児嚢に卵を産みこみ、その中で授精が行われるのである。

本来の自然な自己存在の形態に、ことごとく逆らっているような生き物である。

タレントのように派手な姿をしているものもいる。

自分というものを知らず、他者を中傷してばかりいるものは、自己存在の自然な愛の流れに反抗しているのだ。何もかもをさかさまにしてしまう。女性らしい女性を馬鹿といい、男らしい男を屑という。その動機は必ず嫉妬だ。自分はいかにもかっこよく見える姿をまとうが、かなり滑稽に見える。

自分を竜のように大きなものとでも思っているかのようだ。

そういうものを中傷する比喩として使うには、実に有効な動物なのである。






カイコ

2017-07-29 06:32:04 | 動物図鑑


家畜化された昆虫。人間が使役する生き物の中では、ミツバチと並び、もっとも段階が幼い霊魂である。

人間はこの昆虫を育てるために桑の木を育てた。カイコは桑の葉を食べて成長し、繭をつくる。その繭から、人間は絹を作る。

昆虫の霊魂そのものは、ほとんど活動していない。カイコの習性に見える活動はほぼすべて神がやっていなさることである。

家畜化された過程で、カイコは野生に戻る能力を失い、完璧に人間に頼らなければ生きていけないものになった。ゆえに人間は当然のように、カイコという生物に貴重な責任というものを有する。

絹は人間を美しくする。それを着るものは高貴をまとう。要するにカイコは、人間の段階が進み、美しいものになってきたということを教えるために、神が人間に遣わしたものなのだ。

あまりにも美しい愛の姿である。

その形見として、人間は永遠に養蚕をやめてはならない。自分を滅ぼしてもならない。

人間が滅びることは、カイコが滅びることだからだ。







誘惑の蛇

2017-07-25 06:12:33 | 動物図鑑


エデンの園で、イヴをそそのかし、知恵の木の実を食べさせたという蛇。

サタンの化身とも言われるが、実はその正体はアダムである。

アダムはイヴをそそのかして悪いことをさせ、セックスがやりやすい馬鹿なものにしたかったのである。そのために知恵を使い、イヴを罠にはめたのだ。

神話に仮託しているが、これは現実にあったことをモデルにしている。知恵知謀で女性より若干秀でている男の方が、先に知恵の実に手を出したのだ。それを隠して、イヴをからめてイヴに実を食べさせ、イヴの方が先にしたことにしたのである。

つまり、先に禁を破ったのは、男の方なのである。それを隠して、すべてを女のせいにして、女を男が支配していい言い訳にしてきたのが、男の罪なのである。

これこそが、何千年の冤罪というものである。女性はこの冤罪によってずっと貶められ、苦しんできたのだ。

男の汚さの象徴である。






カニ

2017-07-21 06:00:28 | 動物図鑑


停滞の象徴。

四対八本の足と二本のはさみをもつ甲殻類。常に横方向に移動する故、蟹の横這いなどとも言われ、停滞の象徴とされる。

またこの生き物の大きな特徴の一つは、真に美味なことである。

その特異な甘い味と心地よい食感に人類は魅せられている。特にズワイガニの消費量は多く、毎年大量のズワイガニが捕獲され、人間に食われている。

カニを食べているときは、人間はものさえ言わない。食事中の会話を楽しむ気にさえならないほどうまいのだ。

ここにも停滞の意味が読み取れる。人間はこの生き物を食べている時、美味に酔いしれて、食欲に夢中になり、霊魂の発展を怠るからだ。

しかしあまりに人間がカニを食うので、もうズワイガニの霊魂などは、人間に食われるのはいやだと思い始めている。

人間はその霊魂の声を無視することはできない。






王蟲

2017-07-17 06:14:22 | 動物図鑑


14個の目を持つ奇怪なウジ型の虫。その体は山のように巨大で、崇高さを感じるほどだが、地球生命としては虫がこれほど巨大になることは不可能である。あくまでもファンタジーの産物だ。

皮膚は装甲のように硬く、加工すれば武器のようなものを作ることもできる。また個体の痛みを共有し、一個体が苦しめば種族全体が怒る。

物語では地球浄化システムを守護する存在として描かれている。神性さえ帯びるその役割を、虫という比較的簡単な構造を持つ生命にやらせるのは、自然の神の愛というよりも、循環システムの中にしかけられた機械装置という感がある。なぜなら虫という存在には、ほとんど存在することと存在しないことの二択しかないからだ。

虫の怒りは、人類への自然界の憎悪というよりも、拒否反応というものである。

神が人間の存在を拒否している。その隠喩が王蟲である。それがあまりにも大きく、うじゃうじゃといるということを、人間が表現しているということに大きな意義がある。

物語ではその怒りを、たった一人の女性が鎮めるという。







虚獣

2017-07-13 06:10:53 | 動物図鑑


馬鹿を動かしている幻の獣。いるはずがないものだが、存在しているかのような活動がある。馬鹿はそれに支配され、あらゆる愚かなことをする。

妬みと羨望という二つの芯がある。それは自己存在の幼期における苦悩が産む玉である。その重力に精神を支配され、自己存在は自己存在の中核を見失い、ないものという、虚獣に支配されるのである。

これに支配されたものは、愛を行うことを喜びとする自己存在の本質を無視し、あらゆる暴力的な理屈で封じ込め、いやなことをし、自分を傷つけ続ける。幻想的な権力を生み出し、それによって世界を支配しようとし、あらゆる暴虐を産む。それによってますます自分が痛いものになり、その苦しみから、自分ではない他者に対する嫉妬と羨望が大きく膨らみ、一層人を馬鹿にして、馬鹿になってゆく。

虚獣というものは、ほんとうはいない。それをあるもののようにしているものがいるだけなのだ。そのものとは何か。馬鹿になっている自分なのである。自分が自分であることの苦しみゆえに、自分ではないものになろうとして、自分の中に現れた亀裂の中に、馬鹿はいるはずのない虚獣というものを幻視しているのだ。それへの恐怖が、あらゆる愚行を産むのである。

だが本当は、そこには何もいはしないのだ。






ワニ

2017-07-09 06:11:11 | 動物図鑑


恐ろしい牙を持つ肉食性の爬虫類。水辺に棲む。

ワニには、恐怖はない。外界の認識もない。

かのじょが書いた小説には、セムハラシムという外界を認識し始めたワニが出てきたが、もしそれがいるとすれば、たぐいまれなワニである。

彼らは感覚に引っかかるものがあれば何にでも噛みつく。それだけで生きているようなものである。快楽もない。喜びもほとんどない。ほとんどの活動は神が代行している。彼らの生のうちにある喜びも神が感じている。神が感じている喜びを、ワニの霊魂が感じているという状態である。

このように、獣性というものは、無知蒙昧な段階のごく幼い霊魂が有するものである。理性や知性の光を発し、世界を照らして見ることがまだできない、ごくごく初期の段階の霊魂はみな、このように獣性の暗黒に住み、そこでほぼ安住している。

そこにはまだ、殺戮も蹂躙も当然のようにしてある。だがそれが自己存在の敵に発展する前に、命が消える。彼らはまだそれで許されるのだ。

だが人間ほどに霊魂が大きく発達してから、この獣性を発揮すると、それは恐ろしい愛の敵になる。

ある程度は静観されるだろうが、これ以上は許されぬという段階にまで、悪が膨らむと、愛の世界が一斉に獣性を滅ぼしにかかる。

情のかけらもない冷酷な人間を、ワニに例えることは多い。それはワニが、このように激しく段階の若い獣性の中にいるからである。






2017-07-05 06:07:17 | 動物図鑑


荘子によれば、北方の海に住むという、何千里という大きさを持つ魚。それが変身すると、鵬というこれまた何千里もある大きな鳥になるという。

大嘘の象徴。これは孔子を意識した荘子が、彼を馬鹿にするために作った妄言の一つである。あんなものとは比較にならない大きな存在がいるということを、極端に表現したのである。

言葉だけでは、どんな大きな魚を作ることもできる。海より大きな魚も、空より大きな鳥も、言葉の上では自由に言うことができる。だが実際、そんな魚や鳥はいない。魚が海より大きくなれば生きてはいけない。鳥が空より大きくなれば生きる意味がない。この世界最大の生き物であるシロナガスクジラも、30メートルあまりの大きさである。何千里の大きさの生き物はありえない。

だが困るのは、そういう言葉だけの嘘でも、人間の心が信じてしまえば、あるかのようなものになってしまうことである。そういうものがあるということを信じて、人間が馬鹿なことをしたり、しなければいけないことをしなくなったりすることがあるからだ。

そんな大きな存在に比べたら、人間などごくつまらないものだと思い込み、世を厭うて、人間的努力を捨ててしまう人間もいるのである。

妄言は害にしかならない。

鯤は動物ではない。ただの嘘である。嘘にも何らかの真実があれば役に立つが、これはもう馬鹿にしかならない嘘である。






オオアリクイ

2017-07-01 06:35:51 | 動物図鑑


動物というものは、大方が人間より段階の若い霊魂だが、何も悪いことをしていないわけではない。まだ小さいので、普通はそれが害にならないうちに、神が何とかしてくださるというものだ。

だがたまに、その悪いことが痛いことになることがある。それでその動物の霊魂に、痛い罪が生じることがある。そういう霊魂が、こういうものになるというものが、オオアリクイである。

妙にバランスの悪い姿だ。頭の方がしっぽより細く、前に進んでいても後ろに進んでいるかのように見える。ほとんど蟻しか食べない。その姿と食性は、見るものに痛い何かを感じさせる。こいつは何かをしたな、という感じがあるのだ。

いやなことをしようとして、したわけではない。知らないうちにやったことが、馬鹿なことになったというだけのものだが、責任を取らせないわけにはいかないということになったものが、オオアリクイなのである。

蟻を食べるということに、深い意味がある。蟻というものは、大きなものに迷惑をかける。それを食べていくことで、何らかの罪を支払っているのだ。

このように、霊魂というものは、悪いことというのが、泥のように当たり前にある世界の中から生じてきたのである。悪いことをするのが、霊魂としてまだ抜き差しならぬ現実であるという段階にあるのが、動物の霊魂なのだ。







パンダ

2017-06-27 06:13:12 | 動物図鑑


自然の神が創られたにしては、おもしろい姿である。白と黒に塗り分けられた姿は、進化の筋道ではあまり考えられないものである。だれかがわざとやったいたずら書きのようにすら思える。

そのおもしろさゆえに、かつては人間社会で大ブームを起こした。

クマのような体に、リスのような愛らしさも持つ。目の周りが黒い愛嬌のある顔は、タヌキのようにも見える。ササを主に食べる。

ジャイアントパンダはクマ科に入れられているが、その霊魂はクマと同じではない。もっと小さなものである。

中国大陸に生息するが、それは意味のないことではない。その存在は中国人に似ている。

一見クマのように強く見えるが、その正体はリスのように小さいのである。

そこに神の秘め事がある。