◇凄いと思う心◇
私たちはよく、凄いという言葉を口にします。
誰々は凄いというときのそれです。
どうして凄いと思うのでしょう。
そこをよく観てください。
そこに感動があれば、それは邪魔になりませんから、そのまま置いておいてください。
しかし、比較する心や、劣等感があるのであれば、そこをしっかり自覚して、自分が創ってる考えや掴んでる考えを観てください。
なぜなら、そこにエゴの罠が仕掛けられているからです。
それに、そもそも誰かが他の誰かよりも凄いということはないのです。
凄いと思うのは、その人の行動や特徴が他の人のそれより少し目に付くだけなのです。
錯覚のようなものです。
誰かのことを凄いというのであれば、みんなそれぞれ凄いのです。
次は来週月曜日にでも書かせていただきます。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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私たちはよく、凄いという言葉を口にします。
誰々は凄いというときのそれです。
どうして凄いと思うのでしょう。
そこをよく観てください。
そこに感動があれば、それは邪魔になりませんから、そのまま置いておいてください。
しかし、比較する心や、劣等感があるのであれば、そこをしっかり自覚して、自分が創ってる考えや掴んでる考えを観てください。
なぜなら、そこにエゴの罠が仕掛けられているからです。
それに、そもそも誰かが他の誰かよりも凄いということはないのです。
凄いと思うのは、その人の行動や特徴が他の人のそれより少し目に付くだけなのです。
錯覚のようなものです。
誰かのことを凄いというのであれば、みんなそれぞれ凄いのです。
次は来週月曜日にでも書かせていただきます。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

お返事ありがとうございます。
そうですね、頂上までの道はいく通りもの道がありますから、その意味でもこの道をいくいろんな人がいろんな発信をすることに大きな意味があるのでしょうね。
だから、思考錯誤の過程を他の人に伝えることも大きな意味があるんだと思います。
そして、伝えようとすることや、書き記すことは、自分にとっても大きな大きな意義があるんだと思います。
いま改めて自分が得ている恩恵への有り難さを感じています。
彗空さんのおっしゃるように
この道を歩き始めそして発信をするということは、次の人に伝えるという意味もあるのだということ、私も同じ考えです。
それは、この世的な自己顕示のエゴの欲求ではなく、純粋な魂として、広く伝えて行かなくてはという義務みたいなものを無意識に感じているから、なのかもしれません。
そうして、読まれた人がまた自分なりにいろいろ考えていくでしょうし、発信する側も、そうやって心を整理したりあらたな発見があったりすると思います。
私たちの行き付く場所はただひとつ。
人はいつか必ず悟りに向かいます。
よく山登りにたとえられますが、目的地はただ山頂のみ
でも、そこへ登る道は無数にあるし、あってもいいのだと思います。楽な道もあれば藪だらけの道もあることでしょう。
それでも、その道のスタートラインに付けたということは幸せです。
試行錯誤しながらも発信していきましょう。
たとえ途中で迷ってしまったとしても、誤った道へ入りかけたとしても、人の意見とは違うと感じたとしても、自分の歩んだ道の記録は、何より自分自身にとって貴重なものですもの・・・
私もそうするつもりです。
ありがとうございます。
お気持ちのこもったコメントを頂き、感謝いたします。
すみれさんの仰りたいこともよく分かります。
ブログは、これからも背伸びせず、ありのままの私の言葉で書いていきたいと思っています。
すみれさんのお言葉通り、間違いも恐れず書いていきたいと思います(笑)。
私は、私を含む、悟りの道を歩み始めた人が何かを発信しはじめたとき、そこには単純にエゴという言葉ではかかずけられない、存在の奥底からこみ上げてくる衝動のような何かがあるのだと思っています。
私の個人的な解釈ですが、そこには次の人に伝えるという意味があるのだろうと思っています。
そうやって、この世は流れてきたんだろうと思っています。
いま私は、この記事「凄いと思う心」を書いてよかったんだと一人で悦に入って微笑んでます。
感謝です。
cosmic_sakiさんという方がこちらにコメントをされていらっしゃいました。
私も記事にコメントを入れさせていただいてますし、間接的には関わりがあるような気がしますので、少し書かせてくださいね。
私もエゴに関することはほんとに人それぞれの解釈があって難しいことだと思います。
私自身は、エゴが消滅するというよりも、エゴをもっと上からの意識(真我)でコントロールするという感覚を持っています
この世に生きる限りエゴは完全には消えないけれど、コントロールによってもう大きくでしゃばることはなくなって、しかも、ネガティブな感情が消えてゆき、曇りが取れて清らかになっていくという感覚です。
自我が完全に消滅したならば、もうこの三次元地球世界に生まれ変わる必要はないのだと考えています。
こればかりは、死んであの世にいってみないと真相はわからない話ですが・・・
この三次元世界は体験の世界、本当にその通りです。
体験して体験しつくして、優劣でも貧富でも何でも2極をもういい、もうたくさんだと思うまで体験するのがこの世界の学びだと思っています
そうやって体験しつくして、やがてそこを統合し、越えて悟りの世界へと向かい始めるというのが、これまでの私の歩んできた人生であり、私なりの結論です。また変わるかもしれませんが・・・
でも、それは人それぞれなので、私は私の言ってることが完璧だとも思いません。
誰が言ってることに従うのか、共感を覚えるか、どんな指導者がぴったりくるのか、それは本当に自由だと思います。
彗空さんのおっしゃってることに共感を覚える方もいらっしゃるだろうし、cosmic_sakiさんの言葉に共感を持たれる方も、そして私の考えに同意される方もいらっしゃるかもしれません。ですから、私もこちらに自由に書かせていただきました。
ブログの目的が人を指導するというよりも、自分の魂の歩む道すじ、魂の成長の記録なのであれば、その時感じた、どのようなことも自由に表現されていいと思います。
ですので、彗空さんには、ご自分の思われたことを、たとえ仮に間違っていたとしても、これからも自由に書いていただきたいというのが、私の気持ちです。
私も私のブログで最初の頃とずいぶん認識が変わった部分もありますので・・・支離滅裂なのかもしれないと思う部分もあります。
すいません
長々と失礼しました。
お気にさわったらお許しくださいね。
コメントありがとうございます。
cosmic_sakiさんが感じておられることや仰りたいことは、分かります。
それは、cosmic_sakiさんの
>わたしは完璧な存在であり不完全であると
知りました
という文章からも分かります。
まさに、そういうことなのです。
エゴに関する話しは、難しいと改めて思いました。
この方面のことは、当面は触らないようにしようと思っています。
またコメントを書いて頂けるとありがたいです。
今後ともよろしくお願いいたします。
「覚醒の旅路」というブログを書いているものです
慧空さんの記事を読ませていただき
気になりコメントも読ませていただいて
わたしなりに感じたことを失礼ながら
書かせていただきます
エゴ このエゴをテーマにわたしも何ヶ月も
書き途中の記事があります
とても難しいテーマです
自我が消滅したらば、ここ三次元の地球に
存在する意味がほとんど無くなると思います
こうしてここにコメントを書いている私もエゴの
力で書くわけです
そして、ブログで発信すること自体
エゴのなせる力です
精神世界、とりわけ悟り系に向かうと
まず、誰かの書き記したことばや方法を
聞いて共感したり実践したりします
なので、みんな同じようなことを言い始めます
やがて体験が始まり気が付き始めます
多くの人はここで終了してしまいます
少しのひとが、ほんの少しの疑問や疑念を
晴らすために検証したり考えたりします
そして悩み苦しみ晴れる日が来るまで考えます
わたしは、(あくまでも私の話です)
わたしは完璧な存在であり不完全であると
知りました
そして、そこに問題を見出すことなく
問題を解決しようとしています
ひとそれぞれです
とくにここ、三次元ではそれぞれの世界の中の
体験です
優劣を感じても良いと思うし、そう思うものは
悟りや覚醒をしていないということも
無いと思いますよ
わたしは、わたしのなかの体験からくることを
共感する人がいるかもしれないので
ただ書いています
それは受け取るひとによって変わるものです
長文失礼しました
コメント歓迎とあったので
失礼しました
こちらこそ、いつも感謝しております。
ありのままを許し、受け入れるということについて、仰ること、よく分かります。
私自身も紆余曲折しながら、受け入れられる部分が段々と拡がっていっています。
受け入れきれずにまだ残っている部分は、残るべくして残っているという感じもします。
その一つが、エゴに対する過剰な拘りでした。
エゴといいましても、私自身のエゴはかなり薄くなってはいるのですが、悟りの道の先を急ごうとする余り、エゴに対する拘りを創ってしまっていました。
エゴも、悟りの道も、私が創った幻なのに(笑)。
エゴを許し、受け入れることにしました。
自分のエゴも、他の人のエゴも。
すると、気のせいか、世界をより一層愛おしく感じるようになったように思います。
有り難いです(^^)
私も彗空さんとやりとりさせていただく中で、いろんな気づきがあり、心の整理ができています。
こちらこそ、いつもありがとうございます。
感覚的な反応がエゴによるものだというのはよく理解できます。私も、時々そんな感情を感じることがあります。
今は訓練?の成果が出てきたのか、すぐに気が付くようになってきましたが。
何といったらいいのか適当な言葉で表現するのは難しいですが、私個人の考えでは、この世は何でもあり・・・基本は善悪も優劣もないので、何があってもありのまま見て、ありのまま受け入れる、許せる、そんな感覚を持つと楽になるような気がしています。
かといって、まったくこの世に無関心や無感情になるのではなく、自分が素晴らしいと感じたものや美しいと感じたものには素直に感動もする・・・人の苦しみや悲しみも理解できる・・
この世のどんなことも、深い智慧や慈悲や慈愛の心(神の心)を持って見ることが出来るようになれば、心底バランスよく調和が取れた人間になれるような気がするのです。
あくまでも私個人の考えですが・・・
と偉そうにいう私も、日々研鑽中なのですね
コメントありがとうございます。
そうなのです、感覚はエゴのテリトリーですから、殆どの感覚的な反応はエゴによる反応なのです。
>ただこの世に生きている以上は、本質を理解しながらも、両方の観点で物事を見られたらいいなと思っているのですが。。。
そうですね~、そうやってニュートラルな意識でいながら、この世の現象や自分の肉体の感覚と軽やかに接することができたらいいですね。
本当にそうなりたいと思います(^^)
今日の私の記事も、このコメント欄に書く文章もそうですが、
私はまだエゴと戦ってるんだな~と思っています。
エゴを押さえ込もうと必死のようです(笑)。
まさに、エゴでエゴを押さえ込もうとしているようです(笑)。
それで、エゴに対する反応がつい固くなってしまいます。
と書きながら、エゴも私が創った考え(思考)であり、幻なんだと改めて気づきました。
エゴに対して必死になっている自分が可笑しくなり、いま笑っています。
お陰様で、また一つ気づくことができました。
感謝です。
凄い・・という認識ですか。
難しいですね。
この世的に言えば、やはり凄いと言われるような人、一般の人よりも秀でた人はいると思います。
たとえば一流のスポーツ選手、芸術家など第一線で有名になり活躍してる方達です。
そんな人たちの活躍を見て、私たちは感動したり勇気をもらったりもします。
そこまでいかなくても、お料理が得意、何かが得意で凄いねと思われるような人もたくさんいると思います。
その方達からも教えていただくことはたくさんあるように思います。
ただ・・・・
魂の観点から見たら、この世に凄いも凄くないもなくて
皆平等だと思うのです。
エゴを外せば、皆神の子であって誰もがその本質は光り輝く存在だから・・・
考えてみたら、誰かを凄いと思うのはこの世的な感覚なのかもしれませんね。
私自身は、どれだけ凄い人を見ても深くからは結構冷めている部分はあります。
ただこの世に生きている以上は、本質を理解しながらも、両方の観点で物事を見られたらいいなと思っているのですが。。。
コメントありがとうございます。
>自分以外の存在が、凄いと、嬉しくなる、感謝する、
>気持ちが出てくるのが自然なのかもしれないと
>最近少し思えています。
wakimizuさんは、ハートが開いておられるようですね。
素晴らしいです。
それでも敢えて書かせていただくとすると、こういうことなのです。
凄いという感覚には、しらずしらずの内に、エゴによる分別が入り込んでいるケースがよくあります(wakimizuさんの場合は違うのかも知れませんが、笑)。
これは凄いけど、これは凄くないとか、そういう分別を知らないうちに瞬時にやっているケースがあるのです。
だって、本当に世界を平等な目で観られるようになったら、凄いとうのら、何を観ても、何を経験しても、すべて「凄い」になるはずでしょ。
でも多くの人はそうはならない。
そうやって、私たちは知らず知らずのうちに、分別をやっています。
それがエゴなんです。
すみません、ついムキになって書きすぎました。
私の何かが反応したみたいです(笑)。
よろしければ、ぜひまたコメ書きをしていただきたいと思います。
待ってま~す(*^_^*)
「凄いと思う心」拝読させていただきました。
自分以外の存在が、凄いと、嬉しくなる、感謝する、
気持ちが出てくるのが自然なのかもしれないと
最近少し思えています。
ねたみ、ひがみの気持ちは、タマシイに
しこりがあるからかもしれない。
しこりが取れると、タマシイが繋がっていくから、
努力しなくても自然に嬉しくなったり、感謝できたり、
自然体になれそうで。
何かをしようとするとき、ネットや、何かをみて、自分なりに調べたりしますね。
たとえば、私は料理のレシピなどをよく調べて利用しますが、
いろんな方々が、本当に詳しく研究し、それを書いてくだ
さっていて「凄いな」と感動し、そのことに助けられ、また、
喜んで、
誰かの凄さに、助けられ、勇気をもらったり、知恵をいた
だいたり~。
みんなそれぞれが、それぞれを生きながら、お互いに見
えるところ、見えないところで繋がり、みんなそれぞれが
必要で、かけがえのない存在であることがわかります。