私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

雑記など

2023年10月31日 11時55分26秒 | その他
雑記など、少し書いてみようと思います。


まずは、個人的なこと。
健康問題。
私は身体が余り強い方ではないのですが、若い頃からいろいろ無理してきたのもあり、その上、3年前から始めた農業による肉体的な負担も重なり、あちこちと身体のガタが目立つようになってきました。
つい先日は、またコロナ(おそらく4回目)にかかってしまい、一週間以上も寝込んでしまいました。
ワクチンは一度も打ってないのですが、それにしても4回もかかってしまうというのは、自分の身体がどうかしているのだろうと思っています。
左目の緑内障(隅角狭窄型緑内障)も、自然治療等も含めてこれまでだましだましなんとかやってきたのですが、もうそろそろ限界のようで、少し無理をすると目に激痛を伴う発作が出るようになってしまいました。
もう限界のようなので、秋の農作業が落ち着いたら、右目と同じように水晶体の人工レンズ置換手術を受けようと考えています。

意志(自我)の力と身体との関係。
普通の人の多くは、ねばならない等の握り締めた囚われの力(自我の力)を使って身体を動かしています。
私自身も昔はそういう面があり、気持ちや根性で、身体や頭を動かし、ビジネスマンとして難しい仕事もやっていたし、家族を支えていました。
しかし、悟ったことにより、囚われが無くなり素になってしまったといいますか、無理が効かなくなってしまったようです。
身体にいろいろとガタが来ているので、素直にあちこちとガタが出て来てしまうようです。
まだ歳は57ですが、このままだと寿命があと10年持たない可能性もあるなと考えています。
このままガタガタと弱っていくのか、ここらで一旦踏み留まれるか瀬戸際なのかもと考えています。
希望としては、それなりに健康に80くらいまでは生きてみたいとは考えていますが、どうなるでしょうか。


世情について。
世界の様子が段々と騒がしく混乱の度が深まってきているように思います。
ローカルな戦争があちこちで勃発するでしょうが、世界規模の戦争はやっぱり無いだろうとは考えています。
ただし、何かを切っ掛けにして世界経済の崩壊のような大きな変化が起こる可能性はじわじわと高まっていると考えています。

ディセンション。
私は、この世界の大きな流れとしては、アセンションではなくディセンションが起こっているのだろうと考えています。
ディセンションとは精神的な幼稚化です。
本来人として生まれてくるような存在は、それなりに成長し、精神の特性として善的志向の持ち主が大半であろうと考えています。
しかし、そのような人たちも、現実に生きていく際には、自らの本心に沿った善的行動を行うのは難しく、表面的な欲に負けて浅はかな行動をとってしまうことが多くなってしまうのだろうと考えています。
幼稚化がそのような傾向を助長しているのだろうと考えています。
そのような流れの中で、ごく一部にそこから抜け出していく方々がいるのではないかと考えています。

(追記)
混乱や崩壊は、民衆の幼稚な国から順に起こっていくだろうと考えています。
そして、混乱の度合いも民衆が幼稚な国程大きなものになるだろうと考えています。
なお、我が国の現状も厳しい状況ではありますが、それでも日本は民衆の精神性がもっとも高い国です。
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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
慧空さんへ (めがね)
2023-11-05 17:40:00
なるほど、それは知りませんでした。
本心があらわになるとそこまで真剣に生き切ろうとするんですね、凄い!
ありがとうございます忘れず大切にします!
返信する
めがねさんへ (慧空)
2023-11-05 09:39:31
私のことを思いやってくださり、ありがとうございます。
ジンときました(T_T)

>何もない真っ暗闇になってその言葉もない状態に行きつきます。

めがねさんは既に、結構な集中力をお持ちのようですね。
仰る通り、非常に高い集中度で自覚を行うと、何もない暗闇のような状態に入っていきます(もう昔の記憶ですが)。
そして、私と考えとの分離が解消され、考えと一体になります(その果ては、自覚という取り組みが出来なくなるというか、成り立たなくなります)。
また、すべては一長一短でどうにもならないというのも仰る通りです。

ちょっと大切なことを書きますね。
どんなに悟っても、残るものがあるですよ。
一切は苦であることがわかってもなお、嬉しいことにといいますか、有難いことにといいますか、あるいはやっかいなことにといいますか、残るものがあるんです。

それは何かと言いますと、本心なんです。
こうあるべき等の囚われは無くなっても、こうしたいとか、こうありたいとか、これをやりたい等の本心はちゃんと残るんです。
解脱に至ると、自分の本心がとても明確にわかるようになるんです。
本心と向き合ってそれに取り組むのは、大変と言えば大変ですが、喜びもあり、やっかいではありますが、囚われを掴んで盲目的に生きるよりはずっとましです。
ちょっと格好をつけて言うと、最後に残った命の炎を燃やしながら生きるような感じでしょうか。
最後は燃やし尽くしたとき、死ぬのかなと思っています。
返信する
慧空さんへ (めがね)
2023-11-05 07:41:29
最近考えに飲み込まれている事が腑に落ちまして、どうゆう事かといいますと
1つ考えを作りそれを自覚してその自覚している私を自覚して、さらにとそれを続けていくと考えの大きさが小さくなっていき建物が有るとか世界が有るとか考えは聞こえないけど考えがないとないのでそのままさらに小さくなり、何もない真っ暗闇になってその言葉もない状態に行きつきます。自覚は相対的なベースの考えの深さによって変化しますが今こんな感じで
考えに考えを否定していると
わぁ~~~~~!!!って叫びたくなる今日この頃ですがこの無もない状態を私が作っていることにも気づいていまして、一般的にはここは楽なので
この状態で自覚を続けていき何もつかまない状態になると自覚が出来なくなり(考えと私の分離が無くなり)ベースの私に飲まれるしかない状況が今の慧空さんなのかと思います。
以前の私でしたら1面だけを見て農業頑張りすぎで免疫が低い状況だからコロナにかかるんじゃないですかって言いたくなるところですが私も含め皆一長一短でどうにもならないですよね
なので
何が言いたかったかといいますと何とか慧空さんの気持ちが解るようなところまで来ましたよ

おつかれさまです!です。
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