私という存在に対する理解は、まだ進んでいる感じなのですが、一区切りという感じもしますので、少し休憩したいと思います。
少し個人的なことを書きますと、最近は夢の様子も大分変化してきました。
夢の中でも覚醒している感じで、夢と現実の違いが薄れてきている感じです。
夢と現実の間に本質的な違いはないんだなと実感しています。
どちらも、幻なのです。
この肉体が滅ぶときも、夢から覚めるような、あるいは反対に眠りに落ちていくような、そういう感覚なんだろうなと思ったりしています。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
スピリチュアル ブログランキングへ
少し個人的なことを書きますと、最近は夢の様子も大分変化してきました。
夢の中でも覚醒している感じで、夢と現実の違いが薄れてきている感じです。
夢と現実の間に本質的な違いはないんだなと実感しています。
どちらも、幻なのです。
この肉体が滅ぶときも、夢から覚めるような、あるいは反対に眠りに落ちていくような、そういう感覚なんだろうなと思ったりしています。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
スピリチュアル ブログランキングへ
こちらこそ、コメントありがとうございます。
また、私の書く文章に対し、貴重という評価を頂き、有り難いです。
文章を読まれる方の評価や批判等の反応に関係なく、書きたいから書いているだけなのですが、自我の力を使って書いてますので、評価されるとやっぱり嬉しいです。
お礼に、私の夢についての体験といいますか、夢の感じについて少し書かせていただきますね。
2012年暮れに明け渡し起こってから当分の間は、夢の中ので様子は、それまでの夢の感じとほぼ同じだったんです。
夢の中で起こる突飛な出来事に対し、夢の中で右往左往していました(笑)。
それが段々と(最近は特に)、夢の中で起こる出来事に対して、右往左往することが殆ど無くなったのです。
起こってくる出来事をただ観ているという感覚になってきたのです。
私は登場人物(主人公)として夢に参加しているのに、その実感がなく、ただ観ているという感覚なのです。
そして、その感覚のまま目が覚めるときもあります。
そういうときは、目の前に展開されている出来事(場面)が、夢の中から現実世界に切り替わっただけで、観察者としての私は連続的にその場面の切り替わりを観ています。
まさに、夢と現実に本質的な違いはないのだと感しています。
>真の永遠不滅の宇宙意識と共に、個である「マスター」として自由の道を歩まれて下さい。
せっかく有り難いことを言って頂いているのに、重ね重ね恐縮ですが、
「真の永遠不滅の宇宙意識」、これも考えであり、幻想なのです。
私という自我に起こる考えは、それがどんなに崇高そうに思えることでも、すべて幻想であり、執着なのです。
すべてです。
私という存在は、どうしても拠り所を求めて何かに執着してしまうものなのです。
別にそれでもいいのですが。(^^)
今後ともよろしくお願いいたします。
本当にペースが早いんですね。
実況中継は貴重で感謝しております。
今はすべて幻と分かり、残りの執着のみなのでしょうね。
もし夢の中で夢だと自覚を持ち、そのなかで物質化できるようになって、更に夢の内容をコントロールできるようになれば、夢はまさに実在するひとつの空間になります。(と、夢見術の本に書かれています。受け売りですいません。私はまだ取り組み中なので。)
彗空さんはこの段階はスルーして先に進んでいらっしゃるようなので、今は肉体の振動数が挙って物理的にも傍から見ると輝き始めているのではないかと思います。(キリストや仏像の頭や背景にある”金の輪っか”が象徴している「輝き」のことです。凡人には見えませんが、見える人なら「輝いて見える」と教えてくれると思います。)
他にも「想念の移動中」などは肉体が透けて消えるのを隣の人間であれば目撃できます。
試しに何かにフォーカスしているときや、深い瞑想状態の時に他人に写真を撮ってもらうと、本当に幽霊のように薄く映りますよ。
私の言葉ですと”現実が遠く感じる”がしっくりくるのですが、肉体ごと再生可能ですので、真の永遠不滅の宇宙意識と共に、個である「マスター」として自由の道を歩まれて下さい。
お薦めは美しい地球の至る所にすみずみまで成ってくることです。(私にとって風のようになり、前人未到のその瞬間を体験することはやってみたいと思う数少ない欲のひとつです。)
できたら出たり入ったりしている最後の日まで、こちらにレポートして頂けると嬉しいのですが・・。
お仕事の予見がないとのことなので、
早く進むのであれば日常の言動に気を配らなければいけませんし、安定した情緒が保てることも大切ですね。
観客の独り言ですから返信は特に不要です。
いろいろと書きたくなり、長文失礼しました。
どうぞ軽やかな歩みとなりますように。