私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

輪廻に関する考察ー輪廻はあるか、解脱後はー

2023年08月20日 16時42分22秒 | エッセイ
◇輪廻に関する考察ー輪廻はあるか、解脱後はー◇


今回は、輪廻について私なりに考察を書いてみたいと思います。

まず最初にハッキリと申し上げておきたいことがあります。
輪廻があるのか無いのか、あるとしたらどんなものなのか等、輪廻に関する我々の疑問はいろいろありますが、輪廻があるのか否か等の核心部分に関することは、決して誰にもわからないのです。

まず初めに、輪廻はあるのかついて。
結論から言いますと、輪廻はおそらくあるのだろうと考えています。
正確には、あると考えた方がいろいろと辻褄が合い、妥当であると考えています。

そう考える理由について。
一番の理由は、人の意識のバリエーションを見ていると、意識の成長度の違いを考えざるを得えないと考えるからです。
二番目の理由は、私自身の個人的な経験によるものです。
例えば、6、7歳の頃生まれて初めて「悟り」という言葉を聞いたときに、その言葉に対して強く興味を示す反応が起きたのですが、生まれて初めて聞いた言葉に対する反応としては余りにも不自然なので、「悟り」という言葉や概念に対して前世的な何かを既に持っていたのではないかと考えています。
他の例としては、私は18か19歳の頃に、物理学や宇宙の根源について考えていて、理屈や論理の根本的な限界や、わかる(知る)ということの根本的な限界について理解したのですが、そのようなことを今世の経験だけで理解するのは難しいだろうと考えています。

輪廻する個別の魂等の存在について。
これは、輪廻があるとした場合、個別の魂があってそれが輪廻していくのか、それとも魂の集合体のようなものがあって、その集合体から派生した魂が1回又は複数回輪廻し、その集合体に戻るのかということです。
これについては、輪廻があるなら間違いなく前者だろうと考えています。
そう考える理由は、意識の成長は、個々の経験によるものであり、無数の世を要して継続的に続いていくものと考えた方が妥当だからです。

始まりと終わりについて。
人の意識について、その成長性という本質的な特性があると考えざるを得ないという観点から、輪廻の繰り返しには、意識の成長という時間的方向性(非対称性)があると考えざるを得ないと考えます。
そうすると少なくとも、輪廻、意識(存在)にはそれの始まりがあると考えざるを得ないと考えます。

では、終わりについてはどうか。
意識の成長について、私は悟りの行程は意識の成長の最終段階であり、それは必然的なものであるだろうと考えています。
ですから、解脱により、輪廻についても、意識(存在)としても何らかの終わりがあるのではないかと考えています。

解脱後のいくつかの可能性に関する検討。

解脱後は、そのまま輪廻を繰り返す。
これはなんとなく無さそうな気がします。

再度、初めに戻る。
これも違うような気がします。

これまでと全く異なった輪廻が始まる。
これは無いです(なんとなく確信あり)。

肉体の死に伴って消滅する。
個人的にはそうあってほしいと思っていますが、これもどうなるかわかりません。



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