NEW 水交会

水交会の皆様、そしてホス研の先輩後輩の方々、情報交換のツールとしてぜひご利用ください。

防衛研究所図書館

2008年11月29日 20時41分25秒 | Weblog
そこの資料閲覧室というところに行ってきました。
恵比寿駅の西口を降りて徒歩5分。防衛省技本艦艇装備研究所と同じ広大な敷地の一画にありました。入り口が分かりづらくてちょっと迷ってしまいましたが、素直に行けば割と駅から近くです。入り口の脇に守衛室があり、そこで簡単な入門手続きをすることによって入れました。
ちょうど昼時だったので食堂が使えるということなので入ってみることに。昔の軍隊には酒保というのがあったそうですが、まさにそんな感じ。500円で定食が食べられました。味分量ともにまぁまぁといったところです。因みにメニューは焼きそばとミニカレーというちょっと変わった取り合わせでした。
さて、図書室ですが、30人くらいでいっぱいになるくらいのかわいい図書室といった感じで、職員が6名くらい。カードかパソコンで検索し、資料番号を申込書に記入して提出すると、5分ほどで奥の書庫から該当の資料を取り出してくれます。
私は、父が所属していた陸軍第101師団の資料をいろいろと見せてもらいました。
そのなかで一番驚いたのは、「通信隊名簿」というのがあったのでまさかと思いつつ開いてみると、昭和14年現在という時点での名簿に父の名前がはっきりとかかれていました。「氏名、本籍、留守担当者氏名、徴集年、認識票番、役種、兵科官等級」が書かれており、戦死あるいは内地送還されたものはその日付が記入されていました。70年前の資料で、しかも父は階級としては軍曹という下級下士官。そんなものの氏名が名簿として残っているのはなんだか奇跡的とも思えるものでした。通信隊現員328名中戦死15名還送者74名、約3割の兵が傷つきあるいは死亡するという、非常に激しい戦闘であったことが、分かります。通信兵ですら、この割合ですから歩兵の人たちはもっと傷ついているのでしょう。
今回は初めてということもあり、それ以上のことはほとんど分かりませんでした。暇を見つけて何回か通ってみようと考えています。

戦史について

2008年11月25日 19時38分13秒 | Weblog
私の父は満州事変、上海事変と2回、中国での戦線の経験があります。そのことを本人が文章にまとめたりもしているのですが、歴史としての経過と本人の経験がどのような具合なのかちょっと調べてみようと思っています。
今週、ちょっと時間があるので資料を調べてみた結果をまた皆様にお知らせいたします。

行ってきました!

2008年11月08日 19時52分51秒 | Weblog
朝からどんよりと曇り、ポツリポツリと雨が落ちてくるあいにくのお天気。
立冬でなんとも寒い陽気の一日、なんとか4人で行ってきました。
約束の時間10時の10分前、新たに開通した新宿副都心線の雑司ヶ谷駅で桜田が待っていると平沢ご夫妻到着。奥様とは実に30年ぶりかな。その5分後には堂迫氏も到着し、本日のフルメンバーが揃いました。
まずは豊島区が管理している明治初期の宣教師の館、マックレーブ邸。ここがわかりにくい場所であることは充分承知していたのですが、さっそくに道に迷い遠回りとなってしまう。お雇い外国人がまだくる前の時期に建てたアメリカ様式の洋館である。宣教師の居宅ということで非常に質素な家であった。生活もシンプルで自給自足に近い毎日であったようだ。
雑司ヶ谷の霊園の中を通り抜けて都電荒川線に乗車。東京で唯一残る昔懐かしい都電に乗るのは実に久しぶり。ちんちん電車の名前のとおりベルを鳴らしての運行である。
飛鳥山で下車。江戸の昔より桜の名所として知られるその場所は現在、公園になっており博物館が三つ区により運営されている。その中のひとつ「渋沢資料館」は明治の殖産興業の元締め、渋沢栄一の記念館である。栄一の別荘がここにあったことによりこの地に建設された。もちろん、当時の建物も二つほど残されている。特別公開ということでその二つの建物も見ることが出来ました。
時間も時間でお腹も空いてきたし、気温も下がる一方で風邪ひきそうなお天気にちょっとテンションも下がり気味。とにかく燃料が必要とばかり湯島天神に移動。お参り後、堂迫氏お勧めのおそば屋さんへ。さいわい営業中で古式そばの酒一杯づつ。
身体が温まったところで最後の見学地、岩崎邸へ。
三菱の創始者、岩崎一族の館が公開されている。お雇い外国人のジョサイヤコンドルの設計でイギリスの様式を伝える洋館である。金唐紙のオンバレードで当時の意匠を伝える。ちょうどミニコンサートが開かれており、「ラフマニノフ」と平沢氏がつぶやいていました。
皆、60歳を目前にして、寒い一日をよく歩きました。本当にお疲れ様でした。

五日市小机邸

2008年11月06日 21時03分52秒 | Weblog
江戸末期から明治にかけて、五日市で林業と金融業を手がけた小机一族の邸宅が特別公開されていましたので、11月2日に出かけてきました。
当日は当主の方自ら出迎えてくださり、丁寧に説明をしてくださいました。
土蔵造りの一棟を洋館風にしつらえて、明治の始めのころのまま保存されていました。関東大震災で壁の一部が崩れたほかは、出入り口の場所が多少変わった以外はほとんど当初の姿を今に伝えているとのこと。屋根のトタン板風の姿もそのままとのいうのにはびっくりしました。

集合場所と時間

2008年11月04日 20時36分03秒 | Weblog
文化財巡りのお知らせですが、下記の日時・場所で集合しませんか。

            記

1.日時  平成20年11月8日(土)
        午前10時

2.場所  副都心線「雑司ヶ谷」改札口


3.コース 雑司ヶ谷霊園~マッケーレブ邸
       飛鳥山~渋沢栄一記念館
       根岸~岩崎邸

  いまのところ参加者が少ないようなので、集まったメンツでコースを変更することも可能です。終了時間も皆様のご都合次第ということでいかがでしょうか。
一応、ご参加いただける方、連絡いただけますでしょうか。

 zvp03744@nifty.ne.jp

インブリー館

2008年11月02日 08時56分41秒 | Weblog
これは明治学院大学の構内にある、明治に来日した宣教師のインブリーさんが住んだ家。きちんと保存されており、ちょうど大学祭でもあり公開されていました。
びっくりしたのは、このとなりにあるやはり古い建物のなかに、島崎藤村などの写真とともに江戸末期に撮られたという写真に、「西郷隆盛」という説明文があったことです。太いくびにげじげじまゆげ、そういわれてみればいかにも、という風貌でした。
ご承知のとおり、西郷隆盛の写真は現存していないという風に聞いていましたので、本当かいな、という印象です。勝海舟、坂本龍馬、中岡慎太郎、伊藤博文、大久保利通・・・明治維新の大河ドラマに出てくる人物が総動員といった感じで写っているこの写真、もし本物だったらえらい貴重品のような気がしました。

高輪消防署二本榎木出張所

2008年11月02日 08時34分10秒 | Weblog
日本榎木ではなく二本榎木でした。

東京に残る古い消防署です。
以前、この建物をモデルに建物を建てる計画があったのですが、残念ながら実現しませんでした。
ここからすぐのところがお袋の生まれた炭屋だったのですが、あまりに風景が変わってしまい特定することができませんでした。20年前まで木造の2階建ての家が建っていたのですが。左の方に行くと明治学院大学です。

今日はお出かけ

2008年11月01日 07時53分43秒 | Weblog
先週はちょっと出勤したりしていたので出かけることができなかったので、今日は久々に都心に行ってくるつもりです。日本榎木といってもあまりご存じない方も多いと思いますが、「高輪」昔は芝区、いまは港区になるのかな。うちのお袋が生まれた家があったところです。
平成元年に震災のころ建てた二階屋を潰して売り払ってしまいました。
ちょうど明治学院大学と高輪消防署があるので、それらを見てこようと思っています。