NEW 水交会

水交会の皆様、そしてホス研の先輩後輩の方々、情報交換のツールとしてぜひご利用ください。

東電の副社長

2011年03月29日 19時50分05秒 | Weblog
東電の副社長がよくテレビに出てきますが社長はどうした、と朝日の投書欄に出ていたらと思ったら、翌日ダウンして会社に出てこられない状況とのアナウンスがされていました。組織力がまさに試されているということでしょうか。こんな時だから、すぐにでも代理をたてるのがノーマルだと思うのですが。指揮者がいなくてどうするの。
でも高濃度の放射線を含んだ水がトレンチに満杯になって、それをどのように処理していいのか、保安院に指導してほしい!という副社長の発言には愕然としました。どうしたらいいのか分からない、助けてくれーと公言したわけですから。
東電だけでなく行政、関係各社、研究機関の総力を結集した対策が今、まさに求められている訳ですから、政府はまさに正念場としてそのイニシアチブをとらなければならない状況に立ち至っています。この対策を誤れば禍根を向こう100年以上にわたって残すことになるでしょう。我々の世代だけの問題ではないはずです。300~500人くらいの作業員が決死の覚悟で働いてくれているようですが、そんなに長くそのような危険で劣悪な環境で働き続けられるなんて考えられません。彼らは英雄になりたくてそこにいるわけではないはずです。会社を背負い、なんとかこの危機をくい止めようという義務感で、家族の反対も振り切ってそこにいるのではないでしょうか。国はそれに対してどのように応えるのか、いますぐにでも彼らに伝えるべきです。そうでもしなければ、そこに居続けられるわけがありません。みんな逃げ出してしまったらいったいどうなってしまうのでしょうか。

都庁第二庁舎

2011年03月29日 06時58分08秒 | Weblog
昨日、ちょっと用事があって都庁の第二庁舎にいってきました。一階の入り口は全体が暗く、町中の節電を象徴しているようでした。
ボランティアの受付と都営住宅の被災者向けの抽選が終わったあとのようで、ホールはがらんとしています。
奥の方には段ボール箱が山積みになっています。そして張り紙が生活用品の受付けを一時中止している旨、表示してありました。
物流というか、被災地との連絡調整がうまく行っていない様子です。被災地へ派遣されている人もい職員もいるようで、いつもとは違った風景でした。

コンビニの棚

2011年03月26日 17時47分22秒 | Weblog
一時、空っぽになっていたコンビニの棚がここ数日でだいぶ埋まってきました。米が消えたりカップラーメンがなくなったりと、オイルショックのときのような状態となっていましたが、少し状況はよくなってきました。ガソリンも入れるのに2時間以上並んだりという具合でしたが、そそれも段々緩和されてきています。
小麦粉、特に強力粉までが消えたので「この非常時にのんきにパンなど焼く人がいるのかしら」と思う人もいたようですが、私です。パンもあまり売ってなかったので、とりあえず焼いて冷凍しておきました。売り場に復帰していないのは納豆と牛乳くらいかな。
計画停電で久しぶりにラジオを聞いたり、懐中電灯の明かりのもとでビール飲んだりとちょっと普段とは違う暮らしぶりです。
すこしづつ災害から復旧していければと思います。原発も早く冷却システムが復旧して安定してくれればいいのですが。

少し余裕が・・・

2011年03月19日 07時04分51秒 | Weblog
やっとブログに向き合う余裕ができました。
毎日毎日、電車の運行に振り回され、職場は混乱しっぱなし。おまけに調査と報告が次々に来るので本来の仕事がさっぱり出来ず、といった毎日です。それでも人的・物的被害はないのですから幸いです。被災地の方々はどんなに辛い毎日を過ごしているのかと思うと、停電ごときで不満を言うのは控えなくてはいけませんね。
戦後、最大の災害で一万人以上の方が亡くなっているというのですから、ここは全力で支援しなければならないでしょう。
地震から数日して尼崎yy氏から激励の電話をいただきました。今回は携帯も固定電話もかなり繋がらない状態が続きました。災害が起きると情報伝達がこんなにも難しくなると思い知らされました。

頑張れ! 東京消防庁

2011年03月18日 07時22分47秒 | Weblog
東京消防庁のハイパーレスキュー隊が福島の原発事故に向けて出動しました。東京で組織のことをよく知る人は、消防庁のことを「最後の砦」と呼んでいます。組織力・士気の高さ・能力・装備すべてが揃った精鋭部隊です。
緊急性の非常に高い事故対応で、おまけに放射能とも戦いながらの任務です。
頑張れ!東京消防庁

大震災!

2011年03月15日 20時48分03秒 | Weblog
当日、私は11時ころ、新宿に行く必要が生じ電車で出かけました。昼過ぎに用事が終わり職場に戻り遅い昼食をとろうと電子レンジでチンをしようとスイッチを入れた途端、めまいがしたのかと思いました。でもすぐに地震だと、気が付き事務室に行くと若い女性の事務員がファイルを頭に掲げて揺れに耐えていました。私は壁際に張り付き薄べったいモニターが倒れないように手で押さえながら揺れが収まるのを待っていました。確かに強烈な揺れでしたが、コンクリートの建物の一階でしたのでそんなにびっくりするほどの揺れでもないのかな、と思いつつ揺れからの回復を待っていたら、四階から降りてきた職員が「ロッカーなどは倒れなかったが、立っていられなかった。」と報告してきました。
揺れが収まったあと、組織的に動くことはなかなかできませんでしたが、気が付いた職員がそれぞれの場所について確認に回りました。本当に幸いなことに人的被害はゼロ。施設的にもほとんどダメージを受けることはありませんでした。
そのあと、帰宅ステーションという、自然災害時に帰宅できなくなった人を対象に休憩などを提供するシステムを立ち上げ実施することとなりましたので、結局徹夜の作業となりました。
完全徹夜って学生のとき以来でした。まぁ公務員の最後の一か月を前にしてこんな経験をするとは。
それにしても原発の行く末は難しい問題ですね。ぎりぎりのところまで来ているように感じます。東京あたりまで全滅、くらいで済めばいい方かもしれません。地球に対して強烈なダメージを与えるような事故にならないように祈るばかりです。