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16世紀イタリアの「好色文学」と娼婦の勧め

2006年10月12日 | Weblog
こういうものに近代もなにもあったものじゃないが、まあ、近代のポルノグラフィ第一作として歴史に名を残す名作がある。作者はピエトロ・アレッティーノ、作品は『ラッジョナメンティ』(おしゃべり)。16歳になった娘の行く末を心配する母親と女友達のおしゃべり3話で構成されている。

ずいぶん前、翻訳も出たことだから、お読みの人も多いだろう。私は伊語版、英訳版まで手元において密かに偏愛している。『デカメロン』よりはるかに多彩な恋を展開する筆力、リアリズムに徹した生活感あふれる描写、読者を飽きさせない筋運びのすばやさ、作者の的確な人間洞察など、並みの好色物ではない。

たとえば、こんなしゃれた科白がある。「女の純潔なんてクリスタルの水差しのようなものなのよ。あたしたちがそれをどんなに注意して握っていても、いつかうっかりしたときに、それは手から滑り落ちて粉々に砕けてしまうものなのよ」。女性ならだれだって実感だろう。

娘の生きる道は3つあった。修道女、人妻、高級娼婦である。ふたりの女性が導き出した結論は、娘は高級娼婦にすべきということ。理由はこうである。「修道女は誓いを裏切るし、人妻は婚姻の秘蹟を破るけど、すくなくとも娼婦は修道院も良人も辱めたりしないもの」。

普通ならルネサンス期の正常な女の生き方と思われる修道女や人妻なのに、人々が正常と思い込む神のしもべや結婚という生き方には、数おおくの嘘と裏切りがあるという。しかし悪徳とされる娼婦の生きざまは、人も神も辱めることがない。虚飾を取り払った人間として、筋の通った正論であると思いませんか。

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2 コメント

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システム (彩木 翔)
2006-10-13 15:04:17
遠い記憶ですが、大学の授業で教師がしゃべったことを思いだしていました。それは『入力→消化→出力』という機能を備えたものをシステムという....』と言った、いわゆるシステムの定義みたいなものでしたが、当然人間も色々な意味でシステムと言えるのでしょう。

そこへ『人は自身に欠落、あるいは不足しているものに対して、より意識的になる...(持論)』という条件を加え、『性欲の抑圧』というプログラムを設定してやると、修道女や人妻が娼婦にくらべて、より性的になるのは必然なのかもしれないと考えるのであります。

実際、古今を問わず牧師さんが少年を性の対象として犯罪的行為に及ぶ事例が多いのにも上記のような公式が当てはまるのではないかと思う今日この頃であります。
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彩木 翔 様 (菅原)
2006-10-14 10:14:44
おもしろい授業をする先生もいたものですね。前者の入力、出力は差し詰めエネルギー第二の法則でしょうかね。ここから生まれるのはエントロピー。後者は抑圧の心理学なんでしょうか、フロイトの。ここからは身体的異変や犯罪などになるのでしょうか。まちがってたら、ごめんなさい。

おっしゃるような人間の身体システムに即せば、前者の男女の入力、出力から生まれるのは、子供というすばらしい成果です。決して負荷をかける公害ではありません。きわめて生産的です。

後者でいえば、戦場に送った息子を心配する母親が、ついに息子の戦死を見たくないために一時的盲目になる身体的障害に陥った事例をフロイトが報告しています。

私がここで書いた「ジャーナリストの元祖」ともいわれる男に興味を抱くのは、彼の辛らつなアイロニーです。その先に人間の真実らしい断片を見せてくれる。
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