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TECHNOLOGICAL SOUNDSCAPE 9

2005-09-09 | 音楽

第九回

 『20世紀の音楽』の著者エリック・ソーズマンは、前回引用したくだりに続けて、以下のように述べている。少し長くなるが、ふたたび引用する。

 科学技術の進化は、これまで考えられなかったような新しい音づくりを可能にし、さらに、新しい音楽観を短時間に広く紹介するための伝達手段も提供してくれた。しかし、新しい機器・道具・手段は、開発された当初こそ人びとの目を奪い、関心を集めるが、やがて熱のさめるときがやってくる。そうなると今度は、もっと本質的な問題に目が向けられるようになる。ひととおりの目新しさを体験したあと、結果的に注目を集め、再評価されることになったのは、“楽譜の持つ意味”と、“ライヴ・パフォーマンスの独自の役割”だった。いっぽう、これまでにない新しい種類の音源が使えるようになったということは、一見重要なことのようにみえるが、しかし結局、電子工学技術がもたらしたすべての成果のなかで、もっとも末梢的なことだった。それよりもずっと重要だったのは、全面的なコントロールが可能になったこと、同じことを無限に反復することが可能になったこと、音楽経験の幅が広がって、考えうるあらゆる種類の音や音楽を取り込むようになったこと、そして、コミュニケーションの新しい形が発達したことである。
『音楽史シリーズ6/20世紀の音楽』E・ソーズマン/松前紀男・秋岡陽訳(東海大学出版会)

 この一節からも明白なように、広義の「電子音楽」を可能にしたテクノロジー(「科学技術の進化」=「新しい機器・道具・手段」)に対するソーズマンの評価は、けっして高くない。WDRを始め、世界各国の電子音楽スタジオのパイオニアによって追求された、エレクトロニクスによる「音色の探求」は、結果として、その後の「音楽」には、さほどの寄与も及ぶことはなかったというのが、彼の認識である。
 だが、注意しなければならないのは、このようなソーズマンの視点が、「音楽史」の一環としての「20世紀の音楽」を俯瞰する試みの一部として提示されたものだということである。また、原著の発行年は1974年(第二版)であり、当然ながらそれ以後の「電子音楽」の展開については考慮されていない。たとえば、後半で挙げられている何点かのポイントは、のちに「テクノ」や「ハウス」が生まれ落ちる重要な要因となるのだが、ソーズマンは勿論そのようなことを知る由もなかった(詳しくは拙著『テクノイズ・マテリアリズム』所収の同名論文を参照していただきたい)。
 ともあれ、ごく一般的な「音楽史」に即してみれば、ソーズマンの認識はほぼ妥当なものだと言えるだろう。実際、「電子音楽」の誕生に関与した作曲家の多くは、数々の「習作」が集中的に制作された一時期を過ぎると、その試みをそれ自体として押し進めていこうとはしなかった。彼らのほとんどは「電子音楽」というベクトルそのものを断念してしまうか、既存の器楽的なフォーマットと接合、包含していくかの、いずれかの道を選ぶことになり、むしろそのこと自体が、初期の「電子音楽」を、単なる「目新しさ」の範疇に閉じ込めることにもなった。それどころか、作曲家の中には、自身の「電子音楽」の試みを、まさに青臭い「試み」に過ぎない未完成作として隠蔽し、自らの「歴史」から抹消してしまった者も少なくない。
 もちろん、その後も「電子音楽」というジャンルは、一部で生き残っていきはしたが、それはアカデミックな、そして「音楽」の総体からすれば明らかにマイナーな、いわゆる「現代音楽」の中でも、さらにマイナーな位置へと追いやられ、しかもそのマイナーさに安住するかのように、いささか秘教的でさえあるような、退屈な反復を量産するばかりとなっていったのだった。
 「電子音楽」の誕生が、「作曲」の、「楽器」の、「譜面」の、すなわち「音楽」の、歴史的な意識においての、まぎれもないデッド・エンドを打破すべきものとして希求されたという事実は、逆から見れば、その試みが、どれほど新奇なものに映ろうとも、それぞれの「歴史」へと、やがては回収されていくことをプログラムされていた、ということでもある。ソーズマンがそうしたように、通時的な「音楽史」の延長線上に「電子音楽」を置こうとするかぎり、それは結局、上の引用でも正確に指摘されているとおり、「音色の拡張」と「機械的制御」という二点へと還元されてしまう。
 だが、そうではなく、「電子音楽」の発明によって、持続と展開の時間的な束としての「音楽史」に、決定的なスラッシュが印されたのであり、実は「音楽」の「歴史=制度」自体が、そこで切断されていたのだとしたらどうだろうか? そして、にもかかわらず、ほとんど誰もそのことに気づかないまま、それからの時が過ぎ去っていったのだとしたら?
 ソーズマンの問題は、「電子音楽」を可能にした「テクノロジー」を、広義の「楽器」のアップデートとしてのみ捉えている点にある。彼の論議が、「楽譜の持つ意味」と「ライヴ・パフォーマンスの独自の役割」、すなわち「譜面」と「演奏」の問題へと収斂していくのは、そのせいである。むろん、それは無理からぬことなのだが、「テクノロジー」と「楽器」を同一視することが、すでにして「音楽」の「歴史=制度」の内側で考えていることの証左であり、そこで(おそらくは無意識の内に?)見落とされていたのは、「電子工学技術」なるもの、つまり「テクノロジー」の、強力な外在性・独立性である。
 シュトックハウゼンに顕著なように、セリー主義から「電子音楽」が導き出されてきた経緯には、すべての「音」を操作・制御したいという、「作曲家」という存在による、あからさまな「欲望」が宿っている。第二次世界大戦後に(より正確には「大戦」がもたらしたものとして)現実のものとなった、幾多の「電子工学技術」は、この「欲望」によって「音楽」へと導入された。
 「作曲/楽器/譜面」の「歴史」とは、要するに「音楽」を創造するシステムの内面化のプロセスだといっていい。言い換えれば、それはつまり、個別の「作曲家」に所属する、音楽的なイマジネーションを、「他者の耳」に対して可聴的にするための、さまざまな技術(=テクネー)が、当のイマジネーションの在り方自体へとフィードバックされていくということでもある。そして、他ならぬこの運動のダイナミズムと、そこから不可避的に弾き出される、さまざまなパラメーターが、「音楽」の進化なるものを駆動してきたのだといっていい。
 しかし、「音楽史」のある時期以降、このフィードバックのプロセスは、ほとんど「音楽」の自己同一性と、見分けがつかないものになってしまった。そして、スタティックに停滞しながらも、ひたすら熟成を極めていった、その内側で、先の「欲望」が、やみくもに孕まれていくことになる。ひとは「すべての音」を、現実に聴くことはできないが、にもかかわらず、音楽的なイマジネーションは、「すべての音」を、いうなれば「すでに聴かれた音」として扱うことができるのだとする、奇妙な確信が、その「欲望」を突き動かしていく。
 ところで、初期の「電子音楽」のバックボーンを成した、さまざまな「電子工学技術」は、それ自体としては、必ずしも「音楽史」の要請によって編み出されたものではない。つまりそれらは、先の「欲望」の産物なのではない。むしろ逆に、時にそれらは、かつてないほどに強力な拘束力で、「音楽」へと働きかけることにもなる。
 たとえば、作曲家の高橋悠治は、1976年に発表された、ある一文の中で、次のように述べている。

 最新の音響学や電子工学の技術が、聴衆の立場をかんがえることなく、それぞれの専門分野の都合でバラバラにもちこまれ、それからその機構にあわせて音楽がつくられる。「機械に人間が従属する」かたちで作曲された音楽は、きき手をその機構の力で従属させるためにつかわれる。
「技術について」

「それにもかかわらず、この作業によって得られた、音の知覚についてのあたらしい知識は、技術概念の変革によって、まったく別なかたちで生かされることはできる」と、同じ文章の後段で高橋は書いている。そして「音楽」の非・個人化=集団制作の可能性についてのポジティヴな見通しを語っているのだが、それはひとまず置くとして、上記のごとき立場は、「電子音楽」の誕生から、ほぼ四半世紀が経過した時点においても、いや、むしろますます、「音楽」にかかわる「技術について」の言説としては、支配的なものだったというべきだろう。
 高橋の指摘は、あきらかに「技術」への不信に彩られているが、むしろ我々としては、「機械に人間が従属する」ことを、彼の言う「技術概念の変革」に繋げてみたいと思う。


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