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TECHNOLOGICAL SOUNDSCAPE11

2005-09-09 | 音楽

第十一回

 論文「新音楽の老化」におけるアドルノの「電子音楽」への批判は、題名にも掲げられた、かつて自らが名付けて顕揚した「新音楽=Neue Musik」に対する舌鋒鋭い批判の延長線上にある。だが、ここには同時に、興味深い捩れが存在している。
 十二音音楽からセリー主義へ、という作曲技法上の歴史的展開が、アドルノの言うように「数学まがいの操作によって音楽の純粋な即自を作り出すことができる」という「空しい希望」に過ぎなかったのだとして、更にそのセリー主義の素材論的限界を打破すべきものとして生まれた筈の「電子音楽」は、しかしアドルノが同論文を発表した時期、すなわちその黎明期においては、「考えられるかぎりの音色の連続体を操らせてくれるもの」とは到底言えない初歩的な段階に留まっていた。ところが、すでにグレン・グールドのエッセイに見たように、その後、十数年を経た頃には、ある程度の技術的な進展を踏まえながらも、「電子音楽」はポスト・セリー主義としての可能性を開花させるどころか、むしろ「伝統的な器楽語法および声楽語法」への回収と融合に向かっていたのだった。
 だとしたら、「数学まがいの操作によって音楽の純粋な即自を作り出すこと」と「考えられるかぎりの音色の連続体を操らせてくれること」をともに実現しながら、しかし「伝統的な器楽語法および声楽語法」に乗り移る(=乗り移られる)こともなかった「電子音楽」というものの可能性が、どこかで失われてしまったことになる。仮に、もしそのようなことがありえたとして、それは「ポスト・セリー主義」としての、音楽史/作曲史上のヘゲモニーを握っていただろうか?

 アドルノが「新音楽の廊下」を批判したのは、それらに「作曲の内容となるべきものがない」からであり、「音楽以前・芸術以前の、音の領域に後退している」からだった。先に引用した部分の前節で、彼はこのように書いている。

 本格的な芸術というものは、首尾一貫性、約束事の履行といったことを抜きにしては考えられない。しかしそれはそれ自体のためにあるわけではなく、かつては芸術理念と呼ばれていたもの、音楽においては作曲(構想)される内容(ダス・コンポニールテ)と呼んだ方がよいと思われるものを、表現するためにこそある。
「新音楽の老化」テオドール・W・アドルノ/三光長治訳
『不協和音』(平凡社ライブラリー)所収

 「ダス・コンポニールテ」が存在していなければ、それがいかに豊穣で複雑な音色を有していようと、アドルノにとっては、まったく価値を持たなかった。彼にとって「音楽」は数学や工学ではなかった。というよりも「セリー主義」や「電子音楽」は、「数学」や「工学」としての「音楽」という可能態を提出してしまったがゆえに、彼としては頑として否定すべきものであったのだ。逆にいえば、アドルノは、その可能性に十分過ぎるほどに気付いていた。つまり、いわばそれは「芸術」としての「音楽」の危機として認識されていたのである。
 もちろん、同様の危機感を抱いたのはアドルノだけではなかった。たとえば作曲家の伊福部昭は、最近復刻された著書『音楽入門』の「音楽は音楽以外の何ものも表現しない」という、ストラヴィンスキーによる言葉を題名とする章の中で、音楽作品の価値判断の根拠を、その音楽以外の教養や思想に求める風潮を批判しながら、次のように書いている。

 しかし以上の話によって、音楽は哲学や宗教や思想とも何も関係がないという意味にとってはならないのです。作品が見事に構成された場合は、作品それ自体が一つの哲学的表現となることは明らかです。この場合、私たちはその作品から作者の思想、哲学、その他を明瞭に読みとることができるのです。それでこそはじめて作品といい得るし、また、鑑賞者の立場からも鑑賞に耐えられるのです。
(中略)
 もう一度繰り返しますが、思想も哲学もなく音を組み合わせるという言葉を、単なる音楽理論や思いつきで音をならべる機械的な職人的な音楽が本当だという意味にとってはなりません。
『音楽入門』伊福部昭(全音楽譜出版社)

 ここで述べられている「作品それ自体が一つの哲学的表現となる」ということが、アドルノの「ダス・コンポニールテ」に相当することは疑いないことだろう。そして伊福部は「無感動に理屈だけで配列した音群は、断じて音楽でさえもないことは申すまでもありません」と書き付けている。ここで暗に俎上に挙げられているのが、当時日本でも若い作曲家たちによって次々と試みられていた十二音音楽以降の作曲技法であることは明らかである。この本の初版が出版されたのは1951年のことであり、既にピエール・シェフェールとピエール・アンリはパリでミュージック・コンクレートの実験を始めていたが、WDR電子音楽スタジオでのシュトックハウゼンなどの試みは未だ開始されていない。ちなみに進歩史観とモダニズムに対して、伊福部が重視したのは「音楽における民族性」だったのだが、そのことの是非はここでは問わない。
 「無感動に理屈だけで配列した音群」は、アドルノの「数学まがいの操作によって音楽の純粋な即自を作り出すこと」に当たる。アドルノと伊福部の批判の軸は基本的に同じである。ならば来るべき「電子音楽」について、伊福部はどのように受け取ったのか。「音楽は音楽以外の何ものも表現しない」ということを、伊福部は「音楽の即物的な見方」とも述べている。「電子音楽」こそ「音(楽)」の「即物性」を極めたものではないのだろうか。しかし、別の場所で伊福部は「いわゆる電子音楽では“筋肉的な共感”がない。人間がエネルギーを注入して演奏する喜びがない」などと語っており、実際に「電子音楽」にカテゴライズできるような作品は残していない。
 だが、個人の営みはこの際どうでもよい。われわれの関心事は、1950年代前半という音楽史上の激動期に、「芸術」たるべき「音楽」が、「数学」もしくは「工学」へと変貌してしまうかもしれぬ、まぎれもないクリティカル・ポイントが隠されており、何人かの鋭敏な者は、そのことに気付いていた、ということである。「数学」や「工学」が、「音楽」の「芸術」性に奉仕するものに留まっているならば、まったく問題はなかった。しかし、その段階を踏み越えてしまう危険な可能性が、ほの見えていたのである。
 したがって、グールドの言うように、それからほどなくして「電子音楽特有の構築方法の多くは、ひじょうに楽々と伝統的な器楽語法および声楽語法に乗り移ってしまった」のだとしたら、それは危機を回避するためのプログラムが働いたと考えるべきではないか。そして実際、今日、われわれが知り得る「電子音楽」なるものの総体は、「音楽」にとって、まったく危険なものではない。
 先ほどの設問に戻ろう。一種のSF的な空想として、あっけなく失われてしまった「電子音楽」の可能態が、「ポスト・セリー」の時代における「音楽」のヘゲモニーを握っていたとしたら、という事態を想像することができるだろうか。念のために述べておけば、それは「数学」であり「工学」でもありながら、なお「音楽」であり続け、ことによったら「芸術」でさえもある、ということである。そこには「ダス・コンポニールテ」も存在しているし、むろん「作品それ自体が一つの哲学的表現」ともなっている。
 これは単なる空想に過ぎない。だが、もしもそのようなものがありえたとしたら、そこでの「哲学的表現」や「ダス・コンポニールテ」は、実のところ、その定義からして根本的に書き換えられていることだろうし、そもそも「音楽」なるものの同一性も、内側から激しく揺らぎ、強度の軋みと歪みとに耐えかねて、気付かぬ内に別の何かに変わり果てているかもしれない。それはモダニズムの運動とはまったく異なった、「音楽」の決定的な「進化」(敢えてこの言葉を使っておく)であったかもしれない‥‥‥

 このようなことは、けっして起こりはしなかった。「音楽」の「歴史」は、その後も間断なく流れていったのだし、現在までの狭義の「電子音楽」の歩みは、率直に言って取るに足らないものでしかない。だがしかし、ありえたかもしれない可能世界の「電子音楽」は、いわば「歴史」の綻び、目には見えない裂け目として残った。そしてそれは、長い長い時間のあとで、思いも寄らぬ形で蘇生することになる。それはもちろん、ありえたかもしれない「電子音楽」そのものではなかったが、主たる属性は明らかに受け継いでいた。それをわれわれは、とりあえず「電子音響」と呼んでいる。


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