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私が好きなものは全部ここにいる

TECHNOLOGICAL SOUNDSCAPE 10

2005-09-09 | 音楽

第十回

 高橋悠治の「技術について」は、彼自身が関わった1970年の大阪万博における鉄鋼館スペース・シアターでの経験を回顧しつつ、「技術=テクノロジー」と「音楽(芸術)」を、やみくもに、安易に接合しようとする営為に対して、鋭い警鐘を鳴らしている。

 音という物理現象に還元された音楽は、その生産者をはなれて独立な、歴史や社会的条件にわずらわされない価値をもつことになる。これは演奏会用の古典音楽の〈永遠の名曲〉という概念の、一見科学的な衣装をつけての再現であり、人間の生産した物が逆に人間を支配する資本主義の音楽的表現にすぎない、と言えるだろう。ここには、十九世紀の前半までの音楽に見られた、個人の創造力への信頼はない。よけいな人間性の神話をけずりおとした、純粋な物の世界が提出されるのだ。それは、それ以上発展することのない最終的な〈普遍〉の灰色の世界、希望のない終末論を、技術的な進歩への無条件の信仰でおおいかくしたテクノクラートの音楽だ。
「技術について」高橋悠治 『たたかう音楽』(晶文社)所収

 読まれるように、この時点での高橋の論調は、疎外論的なものであり、きわめてペシミスティックでもあるが、しかし彼はすぐさま続けて「と言っても、個々の場合にしめされる、特に技術的・方法論的可能性をすべて否定することにはならない。技術や方法の概念を反転させることによって、それらの成果は充分にとりいれられる」とも書いている。ではその「反転」が、いかにして為されるのかといえば、「抽象化された技術の概念と、それを使う人間を分離するかんがえ方」が見落としてしまうもの、すなわち「生産関係」に着目することが端緒となるだろうと述べているのだが、ここではのちに高橋自身によって実践的かつ理念的に、辛抱強く問われ続けていくことになる「生産関係」の問題系に踏み込むことは避け、敢えて彼の言う「純粋な物の世界」と、そこに鳴り響く「テクノクラートの音楽」に留まってみたいと思う。
 
「数学まがいの操作によって音楽の純粋な即自を作り出すことができる、という希望は空しい」。こう書くのは、論文「新音楽の老化」のテオドール・W・アドルノである。「新音楽=Neue Musik」とは、イゴール・ストラヴィンスキーやアーノルド・シェーンベルク、アルヴァン・ベルクのような、20世紀初頭より相次いで登場した作曲家たちの音楽を総称するものとして、従来の「新しい音楽=neu Musik」の頭文字を大文字化した一種の造語であり、アドルノは自ら名付けたその潮流の理論的な支柱であり、スポークスマン的存在でもあった。その彼が、当の「新音楽」の「老化」を宣言したのは、1954年のことである。アドルノが批判しているのは、上記の偉大な作曲家たちによって編み出された、いわゆる「十二音音楽」のエピゴーネン的な継承者たちと、それに続くセリー主義の展開に対してだが、その延長線上で、当時まさに勃興しつつあった「電子音楽」についても触れている。

 いま問題にしているような音楽のなかには、作曲の内容となるべきものがない。それは音楽以前・芸術以前の、音の領域に後退しているのだ。いくたの練達の作曲家たちが、ある一貫性をもって、ミュジック(原文ママ)・コンクレートや電子音の制作を試みているのは事実である。しかし現在までの電子音楽は、考えられるかぎりの音色の連続体を操らせてくれるものという理論上の建前とは裏はらに、実際面では一一この点缶詰化した音楽の味というラジオによって周知の現象に似ているのだが、それがもっと極端化して一一あらたに得られた音色が互いに単調に似通っていることで、自らの理念を裏切っているのである。それらの音が似通っているのは、持前の一種化学的な純粋さによるか、それとも、各音が器械装置を通した特徴をはっきり担っているためであろう。
「新音楽の老化」テオドール・W・アドルノ/三光長治訳
『不協和音』(平凡社ライブラリー)所収

「電子音楽においては、水準化と量化への強制の方が、新たな質を解放する目的よりも強いように思われる」ともアドルノは述べている。つまり、「十二音音楽」から「セリー主義」へというプロセスが直面したデッド・エンドを打破するものとして、まさしく「考えられるかぎりの音色の連続体を操らせてくれる」べく期待された「電子音楽」が、むしろ多様性を開くのとは真逆に、互いに似通った単調な音色しか生み出せていないこと。そしてそれは、他でもない「電子音楽」の特性ともいうべき、「持前の一種化学的な純粋さ」と「各音が器械装置を通した特徴をはっきり担っている」ことのせいなのだ、と、彼は判断しているのである。
 確認しておくが、アドルノがこの文章を発表した54年は、たとえばシュトックハウゼンならば「習作??」(53~4年)の時期であり、初期の「電子音楽」の、更に黎明期ともいうべき段階に過ぎなかった。既に見てきたように、この頃の「電子音楽」は「音楽」とは名ばかりの、ほとんど工学的な「音響の科学」とでも呼ぶ方が相応しいようなものでしかなく、アドルノが「音楽以前・芸術以前の、音の領域に後退している」と書くのも無理からぬことだった。
 ところが、「新音楽の老化」から十二年後の1966年になると、「電子音楽」の状況はすでにかなり変質している。たとえばある音楽家が、次のように書いている。「初期の実験によれば、電子音楽は栄光ある孤立を作曲家にもたらすだろうと思われたが、彼はじつのところそれを長いこと維持できないかもしれない」。だが、それはアドルノが指摘したような理由によるのではなく、むしろ「電子音楽」が「工学=科学」から「音楽」に奪取されたことによるものだった。
 不世出の天才的なピアニストであり、「テクノロジー」に対しても鋭敏な感覚を備えていた、その音楽家=グレン・グールドは、こうも述べている。

 電子機器を録音再生のためばかりでなく作曲過程の一助として利用する作品には、二十世紀の作曲過程にはっきりあらわれているいくつかの支配的思想が実現されているように感じられる。電子音楽はいまなおよちよち歩きの幼稚な技術である。伝統的な楽器の響きを真似た親世代の手順を踏んでつくられた作品によってひろがる落ち着きと安心感と、ついにはそこから新しい作曲の前提が出てくるはずの、電子的技術特有のさまざまの可能性が許す魅惑的な挑戦、その二つの間をふらふらと行ったり来たりしている。
(中略)
 電子音楽に今日どのような限界があろうと、あるいは、電子音楽がそれ以前の伝統的なかたちの音楽づくりに与えてきたあの「フィードバック」刺激がどのようなものであろうと、電子音楽特有の構築方法の多くは、ひじょうに楽々と伝統的な器楽語法および声楽語法に乗り移ってしまった。
「レコーディングの将来」グレン・グールド/野水瑞穂訳
『グレン・グールド著作集2 パフォーマンスとメディア』ティム・ペイジ編(みすず書房)所収

 「いまなおよちよち歩きの幼稚な技術」でありながら、誕生以来わずか十数年で「電子音楽」は「伝統的な器楽語法および声楽語法」への転移(という名の回収)と浸透(という名の融合)を果たしていた、というわけである。
 注意すべきことは、もしもグールドが言うように、「二十世紀の作曲過程にはっきりあらわれているいくつかの支配的思想」なるものが、当時の「電子音楽」において、完全にとは言わないまでも、ある程度までは「実現」していたのだとしたら、それは先の「デッド・エンド」の、ある意味では一種の解決とも呼べるのではないか、ということである。つまり、「伝統的な楽器の響きを真似た親世代の手順を踏んでつくられた作品」と、「電子的技術特有のさまざまの可能性が許す魅惑的な挑戦」は、必ずしも相反するものではなく、「デッド・エンド」を境目にして鏡面のように拡がる像の内側にあるという意味で、「音楽」の「歴史=制度」の一貫性と全体性をともに構成してしまうのだ。
 ならば「音楽史」は、淀みなく流れていることになる。だが、果たして本当にそうだろうか? たとえば、先の「数学まがいの操作によって音楽の純粋な即自を作り出すことができる、という希望」(アドルノ)の、「音楽」という語の定義と、「希望」という語の意味には、いまだ検討すべき逆説が宿っているように思える。


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