佐藤浩市、主役の覚悟 十字架を背負った男の25年
朝日新聞デジタル 11月15日(日)14時10分配信
直木賞作家・桜木紫乃の同名小説を映画化した「起終点駅 ターミナル」(篠原哲雄監督)が公開中だ。北海道釧路を舞台に、人生の終わりへと向かっていたはずの男女が出会い、再びそれぞれの人生を歩き始める姿を描く。主人公は、心に深い傷を負い、人とかかわることを避けるようにひっそり生きる弁護士・鷲田完治。演じた佐藤浩市に裏話も含め、幅広く話を聞いた。
――映画「起終点駅 ターミナル」に出演を決めた理由をお聞かせください。
映画は昨今、原作ものの映画化が多い。そうでないと通さないという映画会社もあるくらいです。そんな中で、本作はオリジナルではありませんが、短編が原作。この作品なら映画的な肉付けができるということ、原作の世界観を崩すことなく映画的な解釈としての肉付けができるという期待がありました。
――佐藤さんが演じた鷲田は、裁判官として赴任した北海道旭川で、学生時代の恋人・冴子(尾野真千子)に再会。妻子を捨てて共に暮らすことを決めたものの、彼女に目の前で自死されてしまいます。以来25年、釧路の地で国選弁護人としてひっそり生きている。そんな孤独を背負ったキャラクターをどのように解釈されましたか。
鷲田は僕の解釈で演じさせていただきました。彼が冴子に「一緒に暮らそう」と本気で言いに行ったのかどうか。(原作とは)まったく逆の解釈をしているんです。だから、鷲田が(冴子が営む)スナックへ入る前にタバコを一服吸うというワンカットを入れてもらった。彼は裁判官として旭川に赴任し、戻ると一つキャリアが上がる。家族もいる。普通に考えればそんな生活を多分、選択しているんです。でも、いざ冴子の顔を見てしまうと別れを切り出せず、朝になれば真逆のことを言ってしまう。思いとしては一緒になりたいかもしれないけれど、結局、現実的ではないなと自分で口にするわけです。それを女もわかってしまうから、一番残酷な焼き印を押して鷲田の前から去る。原作者の桜木さんも一切考えてなかったことですが、そうさせていただきました。
――撮影の前に話し合いをされたのですか。
はい、「僕はある程度こういう気持ちで行かせてもらいます」と話しました。篠原哲雄監督はそれを受け入れてくれ、桜木さんも「そういう解釈はある、映画は別物なので」とおっしゃってくださった。そのほうが物事が非常にスムーズに行くんです。腑に落ちるというかね。
ただ、映画ではそれを説明するわけでもない。台詞もなく、立ち居振る舞いや雰囲気から表しています。よくよく見ていくとわかるはずです。鷲田は自分が冴子を自死させてしまったことから、“流刑地”として釧路を選び、十字架を背負って25年生きる。ただ、それも自分勝手な解釈ですよね。残してきた妻子には何の罪もないなのに離婚して。そういったことも含め、25年間は誰のための贖罪だったのか、自分自身のためだったのか、ということを徐々に彼自身が感じ取っていく。そんなロジックでやらせていただきました。
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主演作では「自分=現場」
――鷲田は一人暮らしという設定もあって、料理を作るシーンがかなり出てきます。実際の料理の腕前は。
昔はよくやりました。今は、普通の女性くらいはできます(笑)。若い時に洋食店でアルバイトをしていましたし。
――本田翼さん演じる椎名敦子は、鷲田の作ったザンギ(鶏の唐揚げ)をすごく美味しそうに食べていましたね。
あれは僕が撮影前日に自分で肉に下味をつけて仕込み、ロケ地の冷蔵庫で寝かせて、撮影の時に揚げました。料理は完治という人物にとって大事なので、「全部自分でやります」と言いました。エリートだった鷲田が自分を流刑するように、釧路で25年間、国選弁護人だけをやっている。そういう生き方はどこかリアリズムを感じられない。でも、料理を作るというほんの小さな起伏があることによって、彼の生きてきた軌跡に対して非常にリアリズムが出てくるんです。
――息子と大学時代の同級生だったという新米判事補から鷲田が息子について聞き出すシーンが印象的でした。お子さんやお父様との関係を思い出されたことはありましたか。
僕も人の親ですので、子どもとの関係が一番大きかったですね。映画で青年裁判官に聞くことと言えば、息子が食べているものや身につけているもの。でも、それはごくごく自然な、いい意味で凡庸な台詞ではないかと思うんです。凡庸であればあるほどエモーショナルになってしまう。実際そうだろうなと思います。
――主役として、現場を引っ張っていかなければならないお立場は、何かと苦労が多いのでは。
(主役である場合)自分=現場だと思っています。そうでなく現場に行った場合は、居住まいは多少違います。役者だから全部一緒ではないのか、と言われても困りますが。主役でない場合は主役を立てます。主役が(周囲に)何も言わないのに自分が言っても、と何も言わないこともあります。自分の現場である場合は、自分が責任を持たなくてはいけないので意見するときはありますが。
――今回の現場はどんな雰囲気だったんですか。
篠原さん自身はとてもおとなしい人ではありますが、現場の雰囲気は能動的でしたね。「この作品を作っていこう!」という雰囲気は各々から感じられました。そういう意味では非常にやりやすかったです。
いい意味で遠回りさせてくれた相米さん
――ところで、佐藤さんにとって俳優人生の転機となった作品や出会いはなんですか。
それは相米慎二監督であり、阪本順治監督であり、一番その時に自分にとって必要であったんだろうという人と出会うことができたことです。言葉というのは受け取る側で意味が違ってしまうので難しいのですが、相米さんはいい意味で、遠回りをさせてくれました。「魚影の群れ」という作品でしたが、近道になるという形の芝居観を持たせなかった。それが非常にぼくは良かったです。阪本順治は「トカレフ」が最初でした。年が近い分、ある種映画を作るということに共同正犯が成立しうる仲。もちろん同じ考えを持っても、表現としてまったく違う瞬間もあるんですが、それでも共犯者として物づくりができました。
僕が若い頃は、共犯関係を結べる監督に出会うことはなかなか難しかった。監督はみなさん大先輩でしたから。今は若い監督は結構いらっしゃるけど、当時はまだ助監督システムです。普通に映画を撮れるようになるには30代半ば過ぎが当たり前。それでも早いデビューと言われるほどでした。今とはまったく違いますね。
――個人的にお好きな映画や監督は?
それはすごくたくさんあります。過去で言っていいなら、川島雄三、成瀬巳喜男の映画。日本映画で一番影響を受けたかな。好きな俳優を選ぶのは難しいんですよ。「この作品のお芝居が好きだ」という方々はたくさんいますから。映画館へ行く回数は、僕が言っちゃいけないんだけど、随分少なくなりました。でも、映画館で映画を観る良さとは、共有感なんです。観客がスクリーンに向かって同じシーンで一緒に笑ったり泣いたり怒ったり。映画館は共有感を持って見られる、唯一不可思議な世界なんです。
<文:坂口さゆり 写真:合田和弘>
(朝日新聞デジタル &w)
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