一昨日の生産者協議会でのある生産者さんのセリフ。
重いお言葉だなって感じた。
製麺業を営んでいた頃はおいしいものを作れば売れるものだと信じていた。
時代の移り変わりとともに仕事の形態も変化していった。
きれいなものをつくっても、売れるとはかぎらない。
ずいぶん以前、野菜苗が売れた翌年は花苗が売れた。
ゴーヤーの苗が爆発的に売れたから、
今後、花苗が売れていくともかぎらない。
本当に難しい時代のなかを彷徨っているんだろうな。
重いお言葉だなって感じた。
製麺業を営んでいた頃はおいしいものを作れば売れるものだと信じていた。
時代の移り変わりとともに仕事の形態も変化していった。
きれいなものをつくっても、売れるとはかぎらない。
ずいぶん以前、野菜苗が売れた翌年は花苗が売れた。
ゴーヤーの苗が爆発的に売れたから、
今後、花苗が売れていくともかぎらない。
本当に難しい時代のなかを彷徨っているんだろうな。
マチュピチュ建設の理由、5つの説
ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト 7月22日(金)19時24分配信
15世紀に栄えた南米ペルーのインカ都市マチュピチュ。100年前の1911年7月24日、アメリカ、イェール大学の考古学者ハイラム・ビンガムが発掘を開始するまで、長く忘れられた存在だった。
【 1. インカ最後の都市 】
ビンガムは2種類の考えを提示している。1つは“インカ発祥の地”説で、1911年、地元農夫の案内で遺跡を訪れたときに発想したという。
後に自説を修正し、伝説の“インカ帝国最後の都市”ビルカバンバでもあると提案した。16世紀、インカ最後の皇帝がスペイン軍と長期にわたる戦闘を繰り広げた場所だ。
ただし、いずれも正しくはなかった。実際の“最後の砦”は、インカの首都クスコから西へ約130キロの密林遺跡エスピリトゥ・パンパと確認されている。
皮肉にも、ビンガムは1911年にエスピリトゥ・パンパを訪れているが、伝説の都市にしては規模も威容も不十分だと判断したという。ただし後の調査で、彼の想定よりはるかに大きな都市であると判明した。
【 2. 神聖な女子修道院 】
「太陽の処女」の寺院と考えたのもビンガムだ。インカの太陽神インティに仕える“選ばれし聖なる女性”というエキゾチックな仮説だ。
主な根拠は、現地でビンガム・チームが発見した埋葬状態の多数の遺骨だ。アメリカの骨学者ジョージ・イートンは20世紀初頭、ほぼすべてが女性だったと発表した。
しかし、この説も2000年に破綻する。当時イェール大学に在籍していた人類学者ジョン・ベラーノ氏が改めて遺骨を調べ、男女半々と判明したからだ。イートンの時代には知られていなかった骨格の性差が基になった。
現在の考古学界では、マチュピチュの遺骨はインカの女性聖職者ではなく、帝国全域から集められた職人や使用人と考えられている。
「皇帝や賓客が利用する王家の別邸だったとしたら、料理、農作物の栽培、清掃などを担当していたのではないか」とベラーノ氏は解説する。
【 3. 御用邸 】
15世紀の皇帝パチャクテクの“御用邸”だったという有力な説があり、遺骨に関するベラーノ氏の解釈とも一致している。
マチュピチュはパチャクテクやその親族集団パナカが保養、狩り、迎賓に利用する場所だったらしい。
1980年代に発表された“御用邸”説は、16世紀のスペインの古文書に登場する「ピチュ」という名の王領地を根拠としている。ピチュはマチュピチュと同じ地域にあったという。
【 4. インカの創造神話を再現 】
マチュピチュの建設はもっと宗教性が強かったと推測する学者もいる。
イタリア、ミラノ工科大学の天体物理学者ジュリオ・マグリ氏は2009年に調査を実施、マチュピチュはインカの神話を再現した場所だったと発表した。
マグリ説によると、マチュピチュは、崇拝者が先祖のたどった苦しい旅を象徴的に追体験できる巡礼地だった。先祖たちはインカの原点であるボリビアのチチカカ湖から地下をつたって旅を続け、クスコ近くで地上に出たという。
【 5. 聖地を称える 】
考古学と人類学を専門とするヨハン・ラインハルト氏は1991年、『Machu Picchu: Exploring an Ancient Sacred Center(マチュピチュ:古代聖地の研究)』を著し、インカの聖地の中でも特別な場所だと発表した。
例えば、マチュピチュがある山は聖なる川「ウルバンバ川」に囲まれている。
また、夏至と冬至、春分と秋分の日にマチュピチュの特定の地点から観測すると、日の出と日の入りが宗教的に重要な山々とぴったり一直線に並ぶという。当時、太陽はインカの祖先と考えられていた。
ラインハルト氏は、「宇宙論と聖地がアンデス独自の方法で結び付いた一例だ」と指摘する。
【 6. 以上のすべて? 】
ほとんどの学説は政治面か宗教面を強調しているが、ラインハルト氏など一部の研究者は排他的である必要はないと主張する。
「マチュピチュは王家の別邸だった可能性が高い。しかしそれだけでは、建設が難しい高地を選んだ理由がわからない」と同氏は言う。
ペルーの考古学者ギエルモ・コック氏によると、現代の多くの文化と違い、インカ社会に政教分離の発想はなかったという。二重の目的を持っていても不思議ではない。
「インカで政治と宗教は不可分だった。皇帝は聖なる存在で、彼が政を執り行う場所はどこも神性聖を帯びたからだ」。
Ker Than for National Geographic News
最終更新:7月22日(金)19時24分
ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト 7月22日(金)19時24分配信
15世紀に栄えた南米ペルーのインカ都市マチュピチュ。100年前の1911年7月24日、アメリカ、イェール大学の考古学者ハイラム・ビンガムが発掘を開始するまで、長く忘れられた存在だった。
【 1. インカ最後の都市 】
ビンガムは2種類の考えを提示している。1つは“インカ発祥の地”説で、1911年、地元農夫の案内で遺跡を訪れたときに発想したという。
後に自説を修正し、伝説の“インカ帝国最後の都市”ビルカバンバでもあると提案した。16世紀、インカ最後の皇帝がスペイン軍と長期にわたる戦闘を繰り広げた場所だ。
ただし、いずれも正しくはなかった。実際の“最後の砦”は、インカの首都クスコから西へ約130キロの密林遺跡エスピリトゥ・パンパと確認されている。
皮肉にも、ビンガムは1911年にエスピリトゥ・パンパを訪れているが、伝説の都市にしては規模も威容も不十分だと判断したという。ただし後の調査で、彼の想定よりはるかに大きな都市であると判明した。
【 2. 神聖な女子修道院 】
「太陽の処女」の寺院と考えたのもビンガムだ。インカの太陽神インティに仕える“選ばれし聖なる女性”というエキゾチックな仮説だ。
主な根拠は、現地でビンガム・チームが発見した埋葬状態の多数の遺骨だ。アメリカの骨学者ジョージ・イートンは20世紀初頭、ほぼすべてが女性だったと発表した。
しかし、この説も2000年に破綻する。当時イェール大学に在籍していた人類学者ジョン・ベラーノ氏が改めて遺骨を調べ、男女半々と判明したからだ。イートンの時代には知られていなかった骨格の性差が基になった。
現在の考古学界では、マチュピチュの遺骨はインカの女性聖職者ではなく、帝国全域から集められた職人や使用人と考えられている。
「皇帝や賓客が利用する王家の別邸だったとしたら、料理、農作物の栽培、清掃などを担当していたのではないか」とベラーノ氏は解説する。
【 3. 御用邸 】
15世紀の皇帝パチャクテクの“御用邸”だったという有力な説があり、遺骨に関するベラーノ氏の解釈とも一致している。
マチュピチュはパチャクテクやその親族集団パナカが保養、狩り、迎賓に利用する場所だったらしい。
1980年代に発表された“御用邸”説は、16世紀のスペインの古文書に登場する「ピチュ」という名の王領地を根拠としている。ピチュはマチュピチュと同じ地域にあったという。
【 4. インカの創造神話を再現 】
マチュピチュの建設はもっと宗教性が強かったと推測する学者もいる。
イタリア、ミラノ工科大学の天体物理学者ジュリオ・マグリ氏は2009年に調査を実施、マチュピチュはインカの神話を再現した場所だったと発表した。
マグリ説によると、マチュピチュは、崇拝者が先祖のたどった苦しい旅を象徴的に追体験できる巡礼地だった。先祖たちはインカの原点であるボリビアのチチカカ湖から地下をつたって旅を続け、クスコ近くで地上に出たという。
【 5. 聖地を称える 】
考古学と人類学を専門とするヨハン・ラインハルト氏は1991年、『Machu Picchu: Exploring an Ancient Sacred Center(マチュピチュ:古代聖地の研究)』を著し、インカの聖地の中でも特別な場所だと発表した。
例えば、マチュピチュがある山は聖なる川「ウルバンバ川」に囲まれている。
また、夏至と冬至、春分と秋分の日にマチュピチュの特定の地点から観測すると、日の出と日の入りが宗教的に重要な山々とぴったり一直線に並ぶという。当時、太陽はインカの祖先と考えられていた。
ラインハルト氏は、「宇宙論と聖地がアンデス独自の方法で結び付いた一例だ」と指摘する。
【 6. 以上のすべて? 】
ほとんどの学説は政治面か宗教面を強調しているが、ラインハルト氏など一部の研究者は排他的である必要はないと主張する。
「マチュピチュは王家の別邸だった可能性が高い。しかしそれだけでは、建設が難しい高地を選んだ理由がわからない」と同氏は言う。
ペルーの考古学者ギエルモ・コック氏によると、現代の多くの文化と違い、インカ社会に政教分離の発想はなかったという。二重の目的を持っていても不思議ではない。
「インカで政治と宗教は不可分だった。皇帝は聖なる存在で、彼が政を執り行う場所はどこも神性聖を帯びたからだ」。
Ker Than for National Geographic News
最終更新:7月22日(金)19時24分
大阪はいい天気です。
昨日は体調が不完全でしたが、今朝は元通りになっております。
というわけで本日もガンバでっす。
昨日は体調が不完全でしたが、今朝は元通りになっております。
というわけで本日もガンバでっす。