中島セナちゃんが乗っかってた雲や
モリモリ湧き上がる
タイムラプスにしたら面白かったんだろうな
EOS M10にはインターバルタイマーすらないが
ピクチャースタイル:L(風景) コントラスト:+4
New Macro FD50mm F3.5
意外にも雨雲ではなかったらしい
Ende;
中島セナちゃんが乗っかってた雲や
モリモリ湧き上がる
タイムラプスにしたら面白かったんだろうな
EOS M10にはインターバルタイマーすらないが
ピクチャースタイル:L(風景) コントラスト:+4
New Macro FD50mm F3.5
意外にも雨雲ではなかったらしい
Ende;
ウクライナでロシア軍兵士の裁判が行われているんだけど
二十歳かそこらの徴兵された兵隊なんてのは 振り込め詐欺で喩えれば「受け子」「出し子」みたいなもんなんで
いくら「トカゲの尻尾」を裁判にかけても黒幕を止めることにはならない
軍隊が厳しい訓練をするのは 兵隊が上官の命令に唯々諾々と盲目的服従をするよう「行動学習」させるためであって
戦車兵をどんなに鍛えても ジャベリンミサイル一発で丸焦げにされて終わりである
戦争で有利かどうかは兵器のクオリティにほとんどが依存しており 勇敢なポーランド騎兵隊がナチス機械化部隊にボロ負けしたことからも 「勇敢」であることは戦争での勝ち負けにはほとんど影響しない
かつてウクライナでも 独裁政権下においては市民への実弾発砲が行われたこともあり 兵隊や警察官個人の自律的な倫理的行動判断がなければ腐敗した政権を支えてしまう原因にもなる
ヒトという種の生物には 先天的に「上」と見なした対象相手の指示や命令などに疑いを持たずに唯々諾々と鵜呑みにする盲目性というものが存在していて これは進化的には哺乳類の「親」に対する情動行動が集団の中に発展したものであり これを生物学上では「社会性」と呼んでいる
「社会性」とは言うものの これはあくまで統率的協調行動を促すだけの単なる動物的行動バイアスに過ぎず 人間性を伴うようなものではない
イジメにおいて統率協調性が発揮されても 振り込め詐欺でも組織腐敗においても 統率協調性はむしろ個人の自律的な社会的責任判断選択を喪失させる非人間性として働くことの方が多いのである
なぜ 人間性として働くことが非常に稀なのかと言えば それは本能習性というものが無意識で目的がないからである
本能習性というものは 遺伝的進化の過程で「拡がり易い性質」が結果的に遺ったに過ぎず 別に合理的目的があって進化したわけではない
暴力的な腐敗組織に同調迎合忖度服従したところで 社会的責任には適さないが 祖先の生息環境下における環境資源の奪い合い競争を勝ち抜くためには必要であったという「結果」であって それが現代の人間社会において方向性のない暴走を招いているとしても 人間性にとって適した行動習性として働くようにはならない
遺伝的進化というものは あくまで自然現象の「結果」であって 都合良くあらゆる環境条件にとって合理的に進化が起きるわけではない
田島木綿子が言うような「急激な環境変化が起きた時だけ生ずる変異」などというものは科学的には何一つ証明されておらず 変異は環境によらず常に起きているものであって 急激な環境変化に適応できなければ絶滅するだけの話に過ぎない
イヌが その先天的な習性としての「社会性」を発揮することによって 統率協調的に獲物を捕らえることに有利に働くとしても それは所詮「野犬の群れ」に過ぎず 決して人間性としての社会性として働くわけではない
それはチンパンジーでも一緒で チンパンジーは特定環境であれば平穏に暮らしているものの ひとたび環境資源が枯渇すると集団統率的にヒヒやゴリラをも殺害する凶暴な野獣に過ぎない
にも関わらず 松沢哲郎は「チンパンジーの先天的行動習性から人間としての社会性を立証できるかも知れない」などと言い出し 衆愚マスコミはこれを短絡的に鵜呑みにし 「できたら素晴らしいですね」などと称賛し 終いには文化功労賞まで獲っているのである
茶番も甚だしい
当時の京大総長が山極寿一であり 山極は「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などという これまた科学的には何の根拠もないデマで衆愚人気を集めていたペテン師である
その一方で 「安倍政権はゴリラと一緒で忖度だらけだ」などというトンチンカンな批判をしているのである
「忖度」とは 先天的習性である
ゴリラでもヒトでもイヌでも見られる先天的習性であり 主観的に「上」と見なした対象に媚へつらい服従することへの快楽が 行動バイアスとして先天的に組み込まれているために発揮されるものである
にも関わらず「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などという話は支離滅裂にも程がある
完全に国民をおちょくっているのである
しかし 大半の衆愚は「自分がおちょくられている」とは思ってもいないのである
これを「バカ」と言わずに何と形容するのかは 私は知らない
スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験において 「普通一般のヒト」には普遍的に権威に服従して他人に危害までも加えてしまう性質があることを科学的に「立証」しているのである
つまり ヒトというのは権威の言っていることを盲目的に信じ込む先天的習性が存在し 自分の頭で「何が本当に最も重要なのか」を考えようとはしないものなのである
ヒトは権威の前では簡単にバカになる
カルト宗教の教祖であろうと ISILであろうと ロシア政権であろうと 日大では田中英寿理事長に服従忖度し 東京電力では原発の津波に対する脆弱性を放置した
電話口で「警察です」と言われれば鵜呑みにしてキャッシュカードや暗証番号を教えてしまうものなのである
これらの「失敗」に対して 衆愚は「自分には関係のないことだ」と思い込み 「自分だけは絶対誰にも騙されてなどいない」と信じ込む傲慢さを発揮し 権威の批判に対して条件反射的に拒絶反応を示して耳を一切貸さなくなる
イマヌエル:カントの「純粋理性批判」の内容が 実証不能の謎の「叡智界」を結論している妄想ファンタジーに過ぎないことを ヒトは100年以上も理解認識せずに「近代哲学の最高峰」などという形容詞を鵜呑みにしてきたのである
恐ろしいことに かの科学哲学者カール:ライムンド:ポパーまでもが称賛したという
論理客観的に証明されない話は科学でも哲学でもない
それはそもそも「真理(本当のこと)」ではないからだ
にも関わらず ヒトは主観的に安心満足感が得られてしまうと その主観的安心満足感によって問題意識を見失い 何かが解決したかのように錯覚して思考停止に陥るバカが大半である
養老孟司はこう言った
「殴られて気を失うのも 意識が戻るのも自由にならないから 意識に自由などない」と
意識というものには自由にならない部分と 自由になる部分の両方があり 一面的側面だけを採り上げて「意識の全ては自由になどならない」とか「自由意志など存在しない」ことの論証には全くならない
むしろ 殴られて朦朧としているわけでも 酔っ払って酩酊状態なわけでもないのに 東京大学名誉教授という権威肩書の言っている内容を自分の頭では一切検証することなく盲目的に鵜呑みにし 忖度することで安心しようとする卑屈さによって ヒトは簡単にバカになるのである
「自分の頭で物事を考えない」ヤツのことを 何と形容するかは今まで何度も言ってきたことである
ロシア人の多くがプーチン政権を疑わないのも
ドイツ人の大半がナチスに賛同したのも
彼らが特別にキチガイだったわけではなく ヒトとは主観的に安心できる権威などを疑いたがらない先天的習性によってバカになっているのであり これはヒトである以上は誰にでもどの国や民族でも起きうる現象である
「意識の9割は無意識」と言うと 「無意識だったら意識には影響がない」と思っているバカがいるが
これこそが大間違いというものである
9割を占める「根拠のない常識」や「先天的行動バイアス」に基づいた主観的好き嫌いによる情動が行動判断を無意識にしてしまうのであって 意識の中の何が無意識で 何が本当の意識なのかを見極められないからバカが治らない
本当の意識が何なのかは 論理客観的根拠に基づいて検証区別されるものであり 情動の強度程度による拒絶反応こそが真実を見えなくしてしまう根源的原因なのである
それこそ振り込め詐欺の電話を鵜呑みしていれば 「いや 自分は絶対に騙されてなどいない」と頑なに拒絶するであろう
その「頑なさ」という情動こそが無意識であり 真実を見えなくしている原因なのである
そうなればもはや意識の10割が無意識に支配されている状態であるから 何にも「自由」などならなくなるのである
二十歳かそこらの兵隊が 上官の命令に唯々諾々と従い民間人を虐殺するのも 過酷な訓練(一種の虐待)を事後正当化する形で命令に服従している自分が正常だと「思わ」されているからこそ ヒトは戦場では残虐行為が蔓延するのである
虐待が連鎖するのは 暴力に対する恐怖心によって服従せざるを得ない環境に「慣れ」てしまい 封建的順位序列関係を受け入れてしまった既存の自己の価値観を事後正当化し 認知的不協和を解消する形で同じような虐待行動を無意識に連鎖するようになるからである
虐待を連鎖している親は 頑なに「俺はそういう育て方しかされていない」「シツケの一環だ」と言い張って自分の行動を正当化しようとするものであり 情動が行動を支配しているからこそ虐待のような非合理な行動を止めることができなくなるのである
「養老孟司先生を信じている自分は 絶対に間違ってなどいない」と思っているバカが世の中の大半のようだが 多数という「数」は養老の言っている内容を一切担保しないのである
生物学者は未だに「進化的に正しい行動」などというものが存在するかのように主張しているが 進化に目的が存在していない以上「進化的に正しい行動」など存在しないのである
世の中の大半は 遺伝的進化というもののメカニズムやアルゴリズムを「知って」はいるとしても それは「知って」いるだけであって 遺伝的進化における生物学上の旧来の説明の何が間違いなのかは誰も指摘できないのである
「知って」いるだけで 何の応用も効かないのである
それは「自分の頭で考えて」いないからである
だから未だに「進化で月経の痛みがなくならないのかしら」などという荒唐無稽でトンチンカンなことを言い出すバカがいなくならないのである
どういうわけか物理工学系研究者の大半は「専門外」と称して生物学上の誤謬については誰も言及したがらない
同じ大学であれば他の学部で間違ったことを教えていることを傍観放置しておいて良いわけがないのだが
「面倒臭いことには関わりたくない」という事なかれ主義を発揮して 徹底した傍観放置を継続しているのである
教育者がこうした無責任な傍観放置をしていれば 当然ながら生徒達は社会に出てから無責任な傍観放置が「常識」となってしまうことになるのである
「世の中は 所詮そういうものだ」という諦観によって 考えないようにしておけば安心満足であるため ヒトは問題を見ないようにすることで「問題盲」は生ずるのである
ヒトは諦めると満足するのである
諦めてしまえば自分には責任がなくなると「思って」いるからである
その諦めというものを正当化するのに都合が良い話が フリードリヒ:ニーチェの言う「できそうにないことは やらない方が良い」という迷言である
ニーチェなどの虚無主義に衆愚人気があるのは 「諦め」や「根拠のない決めつけ」をしておいた方が 何も考えたくない衆愚が気分的に安心満足感が得られるのが原因である
Ende;
↗マイクロブロア デモ動画 -村田製作所
マイクロブロアをつけたらヘルメット涼しくなんねぇかな
超音波式だからうるさくはないと思うんだけど
あ でも防水ではないのか…
秋月電子通商で一種類だけ取り扱いがあった
↗圧電マイクロブロア -秋月電気通商
1,300円(税込み)
↗イオナイザ -村田製作所
イオナイザってFA工業用だとオゾンも大量に発生させちまうのでご家庭用には到底使えないんだけど
ドライヤー向けとかのソリューションもあった
けど どういうわけかAC100V用だと電極が別途必要になるそうな
簡単なのかしら 電極って
ググったら「村田製作所製イオニシモ」搭載家電っていっぱい出てきた
既存の扇風機などに取り付けられる後付けイオナイザがあっても良さそうではあるが
イオナイザに関しては秋月での取り扱いはないようだ
オマケ
鎌田英怜奈 -Instagram
Ende;
400円(税込み)
500 [mA] 9[V]の電源を用意すれば良いらしい
580円(税込み)
250円(税込み)
全て秋月電子通商
最低1,230円から始められることになる 送料別だが
完成品で売ってるやつだと2万円くらいすることもある
一個30円のインダクタ(コイル)にLEDをつないだだけでも光らせられるそうだ
↗インダクタ(100μH0.79A) -秋月電子通商
専用のLEDユニットでなくても良いらしい
自己点滅LEDってのもあるが
これもワイヤレスになるのかしら
↗自己点滅LED -秋月電子通商
Ende;
オサレな人形作家さんを発見
大山 雅文 -Instagram
こういうオサレセンスはオイラにゃないなぁ
「ラクッコピコリン」というおちゃらけた名前でgooブログもあった
ちなみに異記事タイトルの「Feenhaftes Exemplar」ってのは「妖精の標本」をネットでドイツ語に翻訳させたので 合っているかどうかは知らない
Ende;
ヒトという種の生物は異質なものに拒否反応を示します
この拒否反応というものには特に合理性はなくて 単に「慣れていない」ために生ずる主観的感覚に過ぎません
ドーパミンは その常習性によって思考や行動を「整理」します
「整理」とは言っても あくまで「単純化させている」だけであって 「整理」された思考は根拠のない間違った「常識」や「因習」への執着も作り出すものでもあります
ヒトが立って歩く時 重心が傾いた方の足を踏ん張ったり 上半身を傾けたりしてバランスをとろうとしますが
これが二輪車に乗った場合にはバランスを崩す原因ともなってしまいます
二輪車に乗った場合には 車体と身体の軸は動かさない方が車体が安定します
けれど 右に倒れそうになると ヒトって反射的に右足を踏ん張ってバランスをとろうとしてしまうのですが これが二輪車ではバランスを崩す大きな要因になってしまう
ヒトは大抵の場合 二輪車に乗っている時間よりも自分の足で立って歩いていることの方が時間的に長いですから どうしても足で立つ時のバランスのとりかたが無意識に優先してしまう
「脳が整理されている」というのは このように無意識な行動や動作への単純化であって 普段二足歩行する際には便利なんですが いざ二輪車に乗った場合などでは逆に良くない反射的動作も作り出してしまう
意識的に身体の軸と車体の軸を崩さないようにしておかないと うまくバランスがとれなくなる
自分の足で歩くときと 二輪車に乗った時では別のバランスのとり方を「学習」し 使い分けられるようにしないといけない
足で歩く時のバランスのとり方しか「学習」していない場合には 二輪車でバランスをとろうとしてもダメで それぞれのバランスのとり方を「学習」して 脳を切り替えないといけない
甥っ子が自転車の練習をしていた時に やっぱりどうしても傾いた方向に上半身を傾けることを繰り返してしまっていて 全然乗れなかったんですね
そこで 他の子が乗っている姿をよく見るように促し 自転車の軸と身体の軸が同じになるようにすればバランスがとれるよと教えたら 急に乗れるようになった
スラックライン的なものに乗る時にも 傾いた方に身体の上半身を傾けてバランスをとるんですが これは二輪車には通用しない
身体が憶えた「常識」的動作が 二輪車では通用しない
こうした無意識な反射的動作を「学習」するのが ドーパミンが持つ常習性の役割なのです
「お茶くみは女子社員の仕事」といった根拠のない「常識」に対し 長い間ヒトの大半は問題意識すら持ちませんでした
ドーパミンというのは「安心物質」とも呼ばれ 主観的安心感や満足感を作り出すものでもあるため 一度間違った「常識」を「学習」してしまうと 意識して「あれ 何だかおかしいな」と思わない限りは「会社ってそういうものだ」と諦め鵜呑みにし安心して何も疑問に思わないようになってしまう
ヒトがなぜ死ぬことに対して嫌な感情を持つのかといえば ヒトはこの世に産まれてきてからずっと「生きて」いるために 「生きて」いる状態に「慣れ」ているために「死にたくない」と思うようになる
それでは永遠に生きる合理的な意味があるのかと言えば 別にないんですね
これからやってみたいこと 実現したいことがあれば 死なずに生き続けてみたいとも思うんでしょうけども 単に「今までずっと生きていた」ことによる主観的な死への恐怖心というものには何の合理性もないんですね
「死にたくないから 生きている」だけならサルでもイヌでもネズミでもヨシノボリでも一緒であって 別に生きてさえいれば何でも「立派」でも「正解」なわけでもない
自律的な社会的責任判断選択をせずに 自分が利己的に生き続けることのための行動選択には そもそも「人間として生きて」いない以上は単なる「生物的生存」には合理性なんぞないんですね
他人を殺してまで生き延びたとして その人生は人間として豊かだと言えますか? って話ですよ
原発の津波に対する脆弱性を傍観放置しておいて 原発事故で甚大な被害を引き起こしてまで組織に迎合することが 「人間」としての人生として意味があるんですか? って話ですよ
ヒトという種の生物としては生きているとしても 「人間」としては死んだも同然だったら その人生は糞でしかありませんよ
自分にとっても 他人にとってもね
とは言っても サヴァイバーズギルドのような罪悪感を感じているからといって人間として意味がないわけではない
そもそもサヴァイバーズギルドというものは主観的な「感覚」に過ぎず 合理性のない「錯覚」でしかないからです
養老孟司のように「私のような人間が 生きて ここにいて 相済みません」という「感覚」をいくら主張しても それは主観であって合理的根拠がなく 謙虚でも何でもなくて ただの卑屈でしかない
養老は平気で無責任なことを言い出して人気を得ることしか頭にありません
養老は 他人からの評価だけが目的で 社会安全性とか公平性といったものには何の興味もないデクノボウに過ぎないのです
論理整合性のな無責任は話で多数人気を集めて利己的利益を得ることしかしていないからこそ 養老は「生きて ここにいて 相済みません」などという自己肯定感の低い観念に苛まされて続けることになる
評価承認欲求中毒というのは 窃盗症と同じようなものであって 窃盗症なら周りの人から批難されますが 養老の場合はいい加減なことを言えば大衆から人気が出て金にもなりますから もはや誰にもどうにもならずに ずっと無責任な話をし続けることになる
これって 実はプーチンなどの腐敗独裁体制が出来上がるメカニズムと同じなんですね
日本大学の中では 田中英寿理事長やその幹部達に同調迎合忖度服従しておいた方が 理事長側も 服従している側にもメリットがありますから 誰にも止められなくなって暴走的に組織腐敗が進行することになる
権力者のワガママが通る組織体制が一度出来てしまうと 独裁者はワガママに対する歯止めがかからなくなり 破綻するまで暴走的に組織腐敗は進行することになる
「組織は頭から腐る」なんて言ってた人がいましたが これは嘘で 組織腐敗というものは 組織が腐敗しているのに組織を構成している大多数の服従者によっても組織腐敗が進行する原因となっている
ヒトラー1人が悪いんじゃなくて ヒトラー体制に迎合同調忖度服従している組織の多数によってナチスは作られたんですよ
「頭」だけに責任をなすりつけておけば自分達が無罪だと思っていること自体がとんでもない大嘘であり はぐらかしに過ぎない
生物学界や哲学界における論理的根拠のない非科学的デマが蔓延しているのに対して 私は今まで幾つも指摘批判してきましたが いくら説明しても生物学界や哲学界のデマが全然なくならないのは 多くのヒトが自分の主観的印象だけで判断していて 論理的には何も理解していないためです
遺伝的進化というものは 決して全てが成功する保証がないものであり 断じて都合良く進化が促されるものでもありませんが 大衆マスコミの大半 実際にはほぼ全員が何も理解しておらず 更科功のように「生きているだけでも立派」などという主観的感想までもが進化生物学の科学的論証であるかのように扱われている
タレントの千秋が 遠藤章造との間に子供をもうけたことに対して事後正当化の屁理屈を主張していたことがありましたが これは自分が既に選択した行動を正当化することによって あたかも自分が先天的に優秀な存在であるかのように錯覚して満足するための無意識な「エピソード記憶」に過ぎず 何の論理科学的根拠にもなりません
それでもなを ヒトは自分が先天的に優秀な存在で 自分が主観的に思ったり感じたりしたことの全ては常に正しいものであるという自己過信に溺れようとする先天的習性があるために 山極寿一が言うような「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などという 実際には何の論理的根拠もないデマに衆愚人気が集まるようになる
衆愚やマスコミの多数決や人気は 別に科学的論拠にはなりません
リチャード:ドーキンスの「利己的な遺伝子」などというファンタジー妄想に衆愚人気が長年あるのも 科学的論拠が伴っているわけではなく ただ読んだヒトが気分的に安心満足感を得られるから多数人気があるだけであって 仲間内での利他的行動をいくら抽出してきても仲間以外への差別排除や暴力性の反証には全くならないのです
イヌって ヒトを差別するんですね
弘中彩香アナも子供の頃の体験で話してました
イヌには本能としての「社会性」がありますから 統率的協調性を発揮するための本能として 「上」と見なした相手に盲目的に服従し 同時に「下」と見なした相手には暴力的に服従を強要する
イヌというのは平等が大嫌いなんですよ
こうした習性はヒトにもあって ナチス政権下のドイツ人は「自分達ゲルマン民族は先天的に優秀だ」という観念に基づき ユダヤ人を差別迫害することで優越感に溺れて安心満足できることで ナチス政権という腐敗組織の暴走に同調した
「怖い権威に逆らうことで損をすること」を バカは「バカだ」と主観的に思うわけです
バカが主観的に「思って」いることが 本当に「バカ」であることの論拠にはなりません
暴力的独裁体制に逆らえば 左遷などの嫌がらせをされたり 場合によっては殺されたりしますから 自分が利己的に「生きるため」には独裁体制組織に迎合同調忖度服従しておくことの方が「賢い」ことになってしまう
「権威に逆らうなんて 損をするし バカだ」と 主観的には「思う」わけです
だから誰も権威を疑いもしなければ 批判も全く理解しようともしなくなる
そうやって組織腐敗は傍観放置されることになる
権威などの「上」が大好きで その反対として権威を批判する者を「下」とみなして耳を貸さなくなる そういう思考のバイアスが先天的に組み込まれているために ヒトは簡単に腐敗組織に迎合同調忖度服従し 何の疑問も持たなくなる
主観的に「好き」で安心満足感が得られる相手には何の疑問も持たず その主観的に「好き」な権威肩書を持った相手に対する批判に対しては 観念的嫌悪感だけで「バカだ」とか「変人」といったレッテルを貼り付け 一切内容も理解していないのに無視する
だからヒトは洗脳されることになる
洗脳状態であれば それは安心で満足ですよ 安心満足こそが洗脳の原因ですからね
多数が信じ込んでいる相手を一緒になって信じていれば そりゃ安心満足でしょうよ
しかし その「多数」というものは 権威肩書の主張に論理客観的根拠や証拠が伴っていることの保証には全くならない
カール:ライムンド:ポパーの言う「白いスワン」の喩えですよ
ポパーは一説によればイマヌエル:カントを評価していたらしいですが ポパーとてヒトですから間違えることもあるんでしょうよ
ポパーが評価していたとしても カントの主張には論理客観的根拠が伴っておらず ただの勝手な決めつけによる妄想ファンタジーに過ぎないことは 論理客観的に「考え」れば誰でもわかる話です
「考え」なきゃわかりませんよ なにせ100年以上も誰も疑ったことのない話ですから 主観的印象としては安心満足感があるからこそ 100年以上も誰も疑わずに 論理客観的根拠に基づいた「真理」だと錯覚していた
「大多数が間違えるわけがない」と「思って」いるかも知れませんけど 「数」は論拠にはなりません
天動説が信じ込まれていた時代には 地動説は「火炙り」にされたんですよ
錬金錬成術だって科学だと錯覚していたし 宇宙というものは永劫に不変なものだと「思われて」いた
遺伝的進化についても 衆愚マスコミの大多数は進化さえすれば何でも解決するものだと錯覚していて 「進化で月経の痛みがなくならないのかしら」などという優生思想に基づいたトンチンカンな話に誰も疑問を持たない
進化さえ起きればウイルスだって全部弱毒化するものだと錯覚している
そりゃアナウサギに対するミクソーマウイルスみたいに当初95%も死滅すれば弱毒株への収斂が起きてもおかしくはないですけどね
そんなんヒトで起きたら地獄ですよ マリウポリどころじゃない
エボラでも弱毒化は起きてますけど 充分地獄ですよ
そもそも遺伝的進化が生ずるためには 環境に適さない変異個体の全てが死滅(殺害)するなり断種するなりの淘汰圧力が必要であって 淘汰圧力さえ働ければ数世代でも「品種改良」という進化は起きうるものでもあるのです
実際に家畜やペットや農作物は出来ていますから ヒトでも可能ではありますよ だとしたら進化(品種改良)で「月経の痛みがなくなる」ように断種政策でもかましますか?
そういう無知こそがフランシス:ゴルトンの優生学に対する論理反証を130年以上も誰も指摘してこなかった原因でもあるのです
遺伝的進化に頼って先天性の色素性乾皮症を撲滅するというのであれば 断種すれば良いだけのことですよ そんな話を信じているから「頭おかしい」と言っているんですよ
ヒトという種の生物は 先天的に平等が嫌いで 自分の頭で物事を論理客観的に考え 真実がどこにあるのかを見極められないバカだからこそ 科学や哲学の考え方が必要なのであって 生物学や哲学がこれをできておらず 荒唐無稽なデマや嘘や大間違いが蔓延したまま マスコミ衆愚が肩書権威を鵜呑みにしているから 誤謬(間違い)が全く訂正周知されない
それが原因で安全保障など社会安全性のための抜本的対策が遅れたとしても それは私の責任ではありませんよ
ロシアだってゴルバチョフ時代には政権透明性が確保され 独裁にはならなかったでしょ 地政学リスクなんてのは為政者次第でどうにでも変わるものであって 「ヒト」の先天的危険性を理解しないことには安全保障もスッタクレもあったもんじゃぁありませんよ
たとえプーチンを暗殺しても 独裁腐敗体制が作り出される根源的原因を理解していなければ 何度でも独裁政権は繰り返しますよ
それは通り魔死刑にしても通り魔事件がなくならないのと同じ構図です
罰を与えて安心満足するだけで論理客観的な根本的原因究明や再発防止までやらないと あらゆる「人災」は繰り返すことになるのです
「それでも良い」と言うのであれば オラ知らん
とてもじゃないが面倒看切れないっす
Ende;
ベルクス浮間舟渡店で茄子が3本99円で売ってたので買ったんだけど
帰り道にマルエツ浮間舟渡店に入ったら5本149円だった
ベルクスだと1本あたり33円だが
マルエツだと29.8円だった
失敗した…
Ende;
「ルッキズムは良くない」だとか言いながら
その一方で「人は見た目が9割」だとか言っているヤツが多くてうんざりする
見た目の印象で他人をランク付けするのが間違いの素であって 振り込め詐欺なんてのは電話だからこそ見た目がわからず 「話し方が丁寧だった」などという主観的印象で信じ込んで騙される
要は 主観的印象だけで物事を判断するのが間違いの素なのであって 養老孟司だのマルクス:ガブリエルの言っている内容が支離滅裂で荒唐無稽な嘘だらけであっても 主観的に安心満足感さえ与えられれば鵜呑みにして騙される
「見た目」とか「話し方が丁寧」とか「権威肩書」といった主観的印象なんてのは 大脳辺縁系によって促されるバイアス(脳電位)に過ぎず そうした無意識な脳の偏りやゆらぎを鵜呑みにしているから「無意識」だと言えるのである
個人的に好きな「見た目」とか「話し方」はあるだろう
それはあっても構わないのだが そんな主観的印象だけで物事を判断しているから何が正しいのかを論理客観的に「考え」なくなってバカになる
主観的印象とか好みといったものは個人的な好き嫌いの範疇であって 社会的に「正しい」かどうかの論理客観的な根拠には全くならない
女子社員にお茶くみ強制しておいてもバカだと安心なのかも知れないが それこそが無意識というものである
自分の中の価値観の中で どれが個人的な好き嫌いなのか どれが社会的に正しい判断なのかを区別するために理性が必要となる
理性というのは 論理客観的検証性のことですよ 略して理性という
個人的に好きな人が間違ったことを言うこともあれば
逆に個人的には大嫌いなヤツが正しいことを言うこともある
正しいのか 間違いなのか その判断に主観的印象が混入しちゃうから真偽の判断を間違えてしまうことになる
フリードリヒ:ニーチェって時折ブームになって人気が出ることがあるんだが ニーチェの言っている内容というのは基準や根拠が曖昧で 読み手が勝手に都合良くこじつけられるために気分的な安心満足感が得られて人気があるだけで 論理的根拠のある真実を見極めるためのものではなく ただの大衆迎合に過ぎない
「信念は真理の敵」だとか言っているが 信念の全てが真理ではないわけではなく 信念そのものに論理客観的な真理に基づいているかどうかが問題であって 根拠のない身勝手な正義を信念だと主観的に「思って」いるからテロだの通り魔だの戦争だの「懲罰で解決」になってしまう
「暴力や懲罰は解決にならない」という大前提を逸脱しているから 間違った信念に酔いしれ溺れてしまうのであって 論理客観的に根拠のある社会安全性とか公平性に基づいた信念がないからおかしなことになってしまう
「信念は真理の敵」なのではなくて 間違った信念を持つから間違った行動に陥るのであって 正しい信念を持つことは正しい行動選択の源であって 信念を持つこと自体を批判しているニーチェはトンチンカンなのである
ニーチェなんてのはそもそも虚無主義者であって 物事を論理客観的に追及するのが面倒臭いと思っているから 根拠もない勝手な決めつけをしているのであって そういう短絡的で精神的怠惰を促すような話の方が衆愚には人気が得られやすいわけですよ
バカは バカの言っている内容の方が満足感が得られる
それは 暴走族同士で共感共鳴しているのと同じことです
主観的に満足できさえすれば 安心して信用して鵜呑みにする
ヒトという種の生物は 先天的にバカになるように出来ている
バカになることで統率協調性を発揮して「大きな力」も発揮することができますから 結果的にバカになる習性を持った遺伝子だけが拡がりやすくなって遺ったわけです
何せバカなので 地球環境を破壊するほど「大きな力」を発揮して自滅の道を突き進んでいる
「自律」っていうのは他人に頼らず「自分で判断する」ことです
でもね 自分の主観的印象自体は自分では選べない
では どうやって本当に正しいことを「自分で判断する」ことができるのかと言えば それが「論理客観的証拠や根拠に基づいた判断」というわけです
ヒト(動物)としての意識は情動行動も含めたものですが 人間としての意識の本質とは情動に左右されることのない理性によって発揮されるのであって 何が理性で何が情動なのかを区別するのもまた理性なわけですよ
暴走族は 暴走族同士で共鳴共感していれば安心満足できるからこそ 暴走族になる
非常識な行動を常識にしているから迷惑行為で方向性も合理性もないマウンティングをかけて優越感を勝手に妄想している
養老孟司だのマルクス:ガブリエルだのを多数で信じて共感共鳴していても それが養老やガブリエルの言っている内容が真実であることの論証にはならない
科学や哲学といった 「真理(本当のこと)」というのは 多数決で決定するものではなく あくまで論理客観的根拠に基づいて見極めなければならない
私のこた嫌いでも何でも構いませんが アンタが主観的に嫌いかどうかは真偽の論拠にゃならんのですよ
それは 私の個人的好き嫌いであっても同じことです
同性愛者に対して 私はオッサン同士の同性愛が主観的に嫌いで 若い女子同士で愛し合っているのは何か萌へてしまうんですが 理論的には同性愛であることに違いはありませんから 社会的には平等に扱わないとおかしなことになる
誰であれ 主観的好き嫌いはあっても構わないけど それが短絡的に社会正義になってしまうとおかしなことになる
そこを区別するのも 結局理性なんですね
主観に過ぎない情動が優先するから自己客観性も失われてしまう
Ende;
金井隆典 慶応義塾大学
福士審 東北大学
清水 裕 ヒドラの研究
ヒドラには脳はなく 身体のほとんどが腸でできている
腸内でもセロトニンやノルアドレナリンが神経伝達に用いられている
蠕動運動はセロトニンで動く
アセチルコリン
腸にも味を感じる味蕾がある
飛騨秀樹 名古屋市立大学
酸味を感じる味蕾はない
発育期に旨味を摂ると攻撃性が下がる
パーキンソン病の原因となる変性タンパク質は腸で作られているらしい
食物繊維が足りていないと便秘になって暴力的になる
今回の「ヒューマニエンスQ」は おかしな話はなかった
オイラが気づかなかっただけかも知れんが
Ende;
逮捕容疑は令和2年6月と10月、東京都内の男性(47)ら2人に対しオークションサイト「ヤフオク!」で、東京都内のアニメ制作会社が著作権を持つ新世紀エヴァンゲリオンの登場人物「惣流・アスカ・ラングレー」の頭部と別のキャラクターの胴体を組み合わせたフィギュア2点を計2万1800円で販売し、著作権を侵害したとしている。
ヒメヒオウギ的なものがワシャワシャと生えてきた
マツバギクが満開
東京都交通局北自動車営業所の前だった
新神谷橋から下流方向
久々によく晴れた
その新神谷橋の下が
物凄く狭くなってて自動車が屋根をぶつけまくっているらしい
あまりにぶつけるので橋桁が落下するのを防止するための鋼材を削ったらしい
自動車で新神谷橋の下は通らない方が良いと思う
新神谷橋の下 -Google Map
Ende;
全裸で包丁振り回して他人に危害を加えている薬物中毒の男がいたら そりゃ鈍器のようなもので殴り倒して鋼鉄製の檻にでも隔離しておかなければならないでしょう
でも それは「現場の正義」でしかありません
同じヒトという種の生物でありながら 人間としては機能しない状態のバカがどうして出てきてしまうのでしょうか?
「大半のヒトは 衆人環視下などの特定環境においてはバカげた行動をしないから ヒトには先天的に人間性が組み込まれている」などと主張するバカもいますが 特定環境下でしか発揮されないということは 同時に「別の環境では人間性が発揮される保証はない」ことも意味します
確かに大半のヒトは残虐行為はしませんが 社会安全の観点からは「一つの重大事象の陰には無数の小さな事象が隠れている」ことを前提にし 「ヒヤリ・ハット」の段階から丹念に対処対応をしてゆく必要があるのです
子供が言うことをきかないからといって殴って服従させておけば「簡単」ではあります
ヒトも所詮動物ですから 怖い相手には逆らいたくないので 「勝てそうにない相手」には逆らわずに唯々諾々と服従し その服従している自分を事後正当化するための屁理屈(エピソード記憶)をでっち上げて満足しようとします
こうした「こじつけ論法」のことを 心理学では「合理化」と形容しますが 論理客観的合理性があるわけではなく 単に主観的気分としての安心満足をするための非合理な屁理屈でしかありません
「合理化できた」かのような「錯覚」に過ぎないのです
親から暴力的虐待を受けて育った子供は 大人になって自分の子供に対しても暴力的虐待を「連鎖」します
これは 「自分が殴られて育った」ことを観念的に事後正当化しているために 「自分は正しい だから 殴られて育つことも正しい」という自己過信による屁理屈をでっち上げているからです
暴力的威圧をしてくる大人というのは少なからず存在しますが 「数」は正当性の論拠にはなりません
現行の司法警察もまた国家権力による威圧が正当化されていますが 既存の法手続きの全てに論理客観的合理性が伴う保証が存在しているわけでもないのです
「迷惑者はザラにいる」からといって迷惑行為が正当化できるわけではないのと同じことです
ヒトの大半が衆人環視環境下においては「悪いこと」をしないのは 自律的に社会的責任判断をしているわけではなく 「多数の人前で悪いことをするのが怖い」からに過ぎず 単に自己保身感情に基づいて他律的抑圧に屈しているに過ぎません
だからこそ 一旦暴動が起きたりすると便乗して暴徒化する民衆というのが大量に出てくることになるのです
ナチス政権下においてドイツ人の多くがユダヤ人迫害に便乗したのも 差別迫害を多数がし始めたことによって その「数」に便乗して差別迫害が過激化暴走したのであって ヒトの大半は自分の頭で物事を考え判断などしておらず 目の前の多数に同調迎合する形でしか善悪の判断をしていない一つの証拠です
こうした現象は 学校でのイジメでも 原発の危険性放置をするような東京電力や 日本大学における腐敗組織に迎合してしまう「組織体質」においても同じ原因によるものであり 「組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わなかった」ことこそが 原発事故のような重大事象への発展の根本原因なのです
これはプーチン政権の組織腐敗においても同じことが原因です
戦争と原発事故は無関係だと「思う」ヒトもいるかもしれませんが ヒトが引き起こしている「人災」であることに違いはなく 根本原因は「ヒト」に存在しているのであって 「ヒト」が原因で引き起こされているから「人災」というのです
ヒトは 主観的に気に入らない相手を殴ると満足します
DV男が散々暴れた後にセロトニンが分泌されて満足し 急に涙流して優しくなったりすることもあります
ヒトの大半は大量虐殺犯に死刑判決が下ると安心満足します
こうした情動行動を「人間性」だと勘違いしているヒトは非常に多いですが その「数」もまた「人間性」の論証には全くなりません
人間性の本質とは 「個人が自律的な社会的責任を負う(畑村洋太郎)」ための判断選択に存在するのであって 単なる個人の主観的情動だけで無意識に行動選択していても人間性の論証にはならないのです
通り魔を死刑にしても 通り魔事件はなくなりません
アメリカでの銃乱射事件でも同じです
ですから 「死刑で解決」だとみなして再発防止のための徹底した原因究明にまで言及しないというのは 「他に被害が出ても知ったことではない」と言っているのと同じことであり 社会人として無責任な判断でもあるのです
しかし 現状では大半のヒトが「死刑で解決」だと見なして誰も刑法制度の欠陥については言及しませんから 多数に同調しておけば社会的無責任が薄まるような「感覚(錯覚)」によって 安心して傍観放置しておくことの方が民主主義的多数決によって合理的な社会安全のための取り組みが傍観放置されてしまっているのです
民主主義制度を導入している以上は 国民の半数以上がバカであれば「バカ主義」にしか陥りません
北朝鮮の軍国主義というのも 太平洋戦争終結までの日本の軍事政権のそれとほぼ全く同じものであり 日本人の大半は日本政府がかつて加害者であったことすらも忘れて北朝鮮を批難しても辻褄が合わないのです
ヒトであれば民族国籍に関わらず 軍事政権などによる封建的な統率協調性や盲目性を発揮して暴力的解決に陥る危険性が存在しており これは祖先の生息環境における環境資源の奪い合い競争に勝ち抜いてきた結果的なヒトの先天的本能習性として組み込まれた行動バイアスが原因であって ヒトには先天的に暴力的差別をしたがる民族浄化バイアスとして働く「人間としての先天的欠陥」が存在しているのです
子供だけで放置しておくと 勝手にイジメが始まってしまうのも ヒトの「人間としての先天的欠陥」によるものであり 子供の幼稚な主観だけで行動させておけば自動的自然にイジメや差別排除は起きるものなのです
他人を主観だけで誹謗中傷しておくと 「面白い」ものです
葬式の最中に坊主の頭にハエが止まると「笑って」しまう
しかし 「笑って」しまうとか「面白い」からといって それが短絡的に「自分が望んでいること」だとは言えません
「欲望そのものは欲することができない」からです
イジメをしていると「面白い」ものであり 複数で弱いものイジメをしていると仲間意識による「共感」が働くことによって より満足感を得ることができるため 一種の中毒性がイジメにはあるのです
他人に対して嫌がらせをしていれば 嫌がる相手との比較においては自分の方が優位に立てているという優越感覚が働くため 「集団で個人を誹謗中傷している卑劣な自分の姿」に対する自己客観性が働かなければ イジメは本能習性という自然現象として引き起こされるものなのです
暴走族が「誰にも俺たちを止めることはできない」などと言い出すのは 「俺は他人の迷惑になど配慮が出来ない糞野郎だ」という決めつけが根底にはあり
「自分は絶対に変わらない」という諦めによって ヒトは自信過剰な慢心によって満足しようとするのです
「諦め」ることというのは思考停止の満足感であって 論理客観的に不可能であることの根拠があるわけでもないのに勝手な主観で決め付けているだけに過ぎないのです
虚無主義というのは自己客観的行動判断選択を放棄するための逃避であって 外見的には強がっていますが 実際には「自分に負けている」弱さを正当化しているに過ぎません
自分から主体的に「生きよう」としていない者にとっては 社会や世界は「与えられただけ」の消極的生存でしかありませんから 他者から与えられる「脳への報酬」に不足を感じてしまえば 簡単に社会に対する報復的暴力をするようになります
プーチン程の物質的な富や権力を獲得していても 国際社会から嫌がられれば不満に陥り 暴力による解決にしか陥らなくなるものであって
自分の脳内麻薬を自給自足できないバカの欲望というのは合理性や際限というものが全く働かなくなるものなのです
加藤英明は「爬虫類バカ」だとも言えますし 千住真理子は「ストラディヴァリウスに呪われている」ようにしか見えません
いわば自分のバカを何に使うかの選択を間違え 他人との比較競争や権威からの評価承認だけでしか自分の脳を満たせなくなると「迷惑なバカ」になるのです
「博士ちゃん」達というのは 自分のバカさを個人の主観的な楽しみとして自覚して脳内麻薬が自給自足できているからこそ イジメなんぞをしている暇もなくなるのです
他人に迷惑をかけたがるバカというのは 他人に迷惑をかけていないと自分で自分を肯定することができない精神の穴を自覚したくないが故の逃避として 必死になって他人に迷惑をかけようとするのであり 暴走族の暴走行為というものが何の誰の得にもならない非合理な行動であるのに必死になって邁進するのは それ以外の何の楽しみも知らない無知によるものなのです
元暴走族だった人が 洋菓子作りの楽しみに目覚めてケーキ職人になって更生した事例というのがありました
本当に楽しいと思えて 熱中できることがあれば ヒトは人間としての行動選択「も」できるようになるのです
幼女の身体に興味を持つのも 欲望である以上は選択することはできませんが その欲望を何に使うかは選択可能性があるわけです
通りすがりの女子中学生を強姦しても エスカレーターで女子高生のスカートの中を撮影しても それは何の優越にもならず ただの迷惑者でしかありません
動画などを売れば金にはなるかも知れませんが 卑劣なことで金儲けをしている自分に対する自己肯定感を益々失い 自分自身の良心の呵責からは逃れることも出来ず 麻薬中毒患者のように卑劣な行為を繰り返す迷惑者のバカから脱することができなくなるのです
それはまるで 脳の快楽中枢に電極を埋め込まれたネズミが 電極に電流を流すスイッチを必死になって押し続ける状態と何ら違いはありません
大脳辺縁系によって促される欲望の「脳電位」の奴隷には自由などないのです
程度の差こそあれ 「刑法判決で解決だ」と思っている衆愚の満足も 所詮は同じ構造であり 社会安全性を優先して犯罪者の無責任性のメカニズム原因を究明するためには 自分も含めた「ヒト」の認知上の欠陥について自覚する必要があるのです
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