「意識の9割は無意識」というが
「9割」という数字には科学的根拠が伴うわけではなく
「概ね9割くらい」という意味である
意識の中で無意識が占める割合というものは 個人差もあるし 同じヒトでも状況や感情状態によって大きく変化するものでもある
振り込め詐欺師の嘘に騙され パニック状態に陥っている状況では 主観的情動が優先してしまって自己客観性が著しく阻害されてしまい どんなに説得しても 「いや、絶対に騙されてなどいない」と頑なに主張し続けたりすることもある
これは詐欺に騙される人だけの特有の性質ではなく ヒトという種の生物全般に普遍的に見られるありきたりな性質である
多少の程度の差こそあれ ヒトであれば誰もが騙される可能性があるものであって 「絶対に間違えないヒト」がいないのと同様に「絶対に騙されないヒト」もいないのである
大衆観念的には 遺伝的進化というものは万能なものだと妄想錯覚しているフシがあり
人気タレントが「月経の痛みが進化でなくなるのではないか」と勘違いし
医師でありながら「環境に適応してウイルスの全てが弱毒共生変異しか引き起こさない」などと主張したり
生物学研究者においても「環境が激変した時だけ促される突然変異」などという何の科学的立証も根拠もない遺伝的進化のメカニズムを説明しだすこともある
「進化的に正しい行動」などという話も そもそも進化に目的も最終到達点もないのに どうして「進化的に正しい行動」などというものが規定可能なのであろうか
遺伝的進化というものが 単なる自然現象の結果に過ぎないことを発見したチャールズ:ダーウィンまでもが 「○○のために進化した」といった説明をしていたのである
昆虫などの擬態の説明では 旧来では「天敵から見つかり難いように自らの姿を枯れ葉などに似せて擬態進化を選んだ」といった間違った説明をしていたが 近年では「変異による形質のバリエーションの中で天敵から見つかりやすい個体から食べられるという淘汰圧力によって より枯れ葉などに似ている変異個体への収斂の結果である」と訂正されているのである
決して遺伝的進化というものは 個体の都合に合わせて選ぶことなどできないものであって 月経の痛みがどんなに強くても 人為的「品種改良」でもしない限りは月経の痛みがなくなるようには進化は促されることはないのである
にも関わらず 大衆の大半やマスコミや生物学界の大半までもが遺伝的進化に対する旧来の「典型的な間違い」を理解しておらず また 理解しながらも支離滅裂な言い逃れの屁理屈をでっち上げてはぐらかそうとする生物学者も非常に多い
遺伝的進化には目的がないというダーウィンの進化論の説明をした直後に 「生物生きること自体が目的」だの「生きているだけでも立派なものなのだ」などと支離滅裂で主観の混入した勝手な観念で決めつけをしている更科功の話に対して 大衆もマスコミも 生物学界も 生物学界以外の誰も「おかしい」とは気づかないばかりか 私が理論的に「おかしい」と説明してもなを誰も取り上げることがないのである
その原因やメカニズムは実はわかっている
ヒトの大半は主観的印象が優先し 論理客観的判断を自分からしない先天的な認知上の欠陥(頭の悪さ)が原因である
大半がバカならば バカの側についていた方が気分的に安心(主観)なため 誰も自分がバカであることにすら気づかなくなるのである
ヒトの意識の9割を占める無意識とは 要するに主観的感情によって促される思考のバイアス(偏り)のことであり 動物的な行動習性としての本能的情動によって 論理客観性のある主体的「考え」がほとんど働かなくなるために 「意識の9割は無意識」と言うのである
ヒトも所詮は動物であるために 本能習性などの思考バイアスもまた祖先の生息環境の影響を色濃く受けており 恐怖や安心といった感情が優先して短絡的判断を優先する種への収斂進化が引き起こされているものなのである
だからパニックになると非合理な行動を引き起こしたりすることがあるのだ
自然界においては恐怖を感じたら咄嗟に逃げ出すとか 暴れるとか 大騒ぎするといった行動が天敵から逃れるためには有効であったために 合理性の有無に関わらず 「死なずに済んだ行動習性」への収斂進化の結果として ヒトは情動のままに短絡的に行動するよう「進化」したのである
恐怖を感じた場合に 暴れたり大騒ぎすることが必ずしも生存に適している行動であるとは限らないが 暴れたり大騒ぎしないよりかは生存率が高い場合には 結果的に生存率の高い行動習性を持った個体の遺伝子の方が拡がりやすいのである
遺伝的進化によって促される「合理性」というものは 所詮その程度の合理性に過ぎず 進化によって組み込まれた情動行動の全てに完全無欠の合理性が伴うわけではない
たとえば相手がスズメバチだとすると ビックリして手で払ったりすることの方が危険であり 本能習性が促す行動の全てが常に合理的な結果を促すわけではない
これは知識として知っていてもビックリすると反射的に払ってしまいがちであり 余程昆虫に慣れていないと「ジッとして動かない」ようにすることは難しいものである
体液に毒性があるハネカクシも 手で払って潰してしまうことの方が悪い結果を引き起こすが 相手が蚊であれば即座に叩き潰すことの方が悪い結果にはなりにくい
ハネカクシを潰して酷い皮膚炎になっても繁殖にまで影響を及ぼして遺伝子が拡がらないようにまでは進化に影響を与えることはないが それは同時に「ハネカクシを潰して酷い皮膚炎にならないように行動習性が進化する」ような影響もないのである
何の話だっけ
ああ 無意識な情動行動の話だった
ヒトの祖先はかつては限られた土地などの環境資源の奪い合い競争を勝ち抜くために 殺し合いをしたら勝てそうな数の多い側に同調することで安心満足するよう進化しているのである
相手集団を制圧可能な加害者側に回った方が生存には適し 繁殖の継続には有利に働くことの方が多いため ヒトは勝てそうにない少数派の側には同調したがらない卑怯な行動を 安心して選びたがるものなのである
ヒトの多くは多数派や 多数派によって認証された権威肩書の言っていることの方を信じたがり 内容に論理整合性がある真実かどうかなどには本当は何の興味も持たない
カルト宗教やネトウヨの言っている内容が荒唐無稽なデマであることは多くの人は認識できるものの
養老孟司だのマルクス:ガブリエルだの読書猿など 多数派に人気のある相手でさえあれば その内容は多数によって内容が保証されているかのように勝手に勘違いし 冷静に考えれば荒唐無稽なデマであっても簡単に鵜呑みにしてしまうものなのである
なぜヒトは自分の頭で内容を検証して考えようとしないのか
それは 権威の言っている内容に疑問を持つことに対する根拠のない罪悪感を主観的に「感じ」てしまう本能的習性が働いてしまうからである
これは サバイバーズギルドの罪悪感と同じ様に合理的根拠は何もないにも関わらず 主観的(無意識)に情動に直接働きかけてしまう思考バイアス(偏り)なのである
ヒトはそもそも哺乳類であり 産まれてくると初期的には「子」であるために 自分よりも「上」とみなした「親」などの大人に盲目的に服従する習性が進化的に組み込まれているためである
これが血縁続き柄を超えて 集団内部の統率的協調性においても発揮されることで 封建的序列による統率協調性として働くようにもなっているために あたかも親に疑いを持ちたがらない本能的習性として ヒトは権威を疑わなくなる先天的習性が存在するのである
こうした習性を応用して 盲目性を発揮させて殺し合い戦争に応用しているのが軍隊というものである
洗脳というものはオウム真理教などのカルト宗教だけの専売特許ではなく 日本大学や東京電力 他にも不祥事を引き起こした名だたる大企業の数々においても組織腐敗を引き起こした原因でもあり 独裁政権が成立してしまうのも独裁政権を支える組織内部の個人の盲目的服従性が働いているからである
「自分だけは絶対に大丈夫」 そう主観的に思っておけば 気分的には安心満足で 目先の多数と同調して盲目性を発揮しておいた方がヒトは精神的充足を得られるため 神だろうが独裁者だろうがカルト宗教の教祖だろうが一度信じた相手を疑うことを忌み嫌い 自分が属している組織集団に都合の悪い話の全てに一切耳を貸さなくなるのである
荒唐無稽なデマに惑わされてエコーチェンバーに陥っている人も 振り込め詐欺に騙されて頑なに振込もうとし続ける人も 彼らだけが特別にバカなのではなく 養老孟司やマルクス:ガブリエルや読書猿を信じ込んだ大多数の大衆やマスコミもまた 同じ頭の悪さによって盲目性を発揮しているのである
ヒトは宗教で学術権威の肩書でも何でも構わないので自分よりも「上」と見なした何かを盲目的に信じておかないと安心できない習性があり 何を信じようとするかは「主観的に信じたいかどうか」が優先してしまうものである
そのため どんなに論理客観的根拠に基づいて生物学界や哲学界における嘘やデマや誤謬を指摘しても 大衆マスコミの大部分も含めて誰も理解しようとすらしないのである
主観的に「信じたくない話」に対しては ヒトは観念的拒絶反応によって信じようとしなくなることによって 内容の論理的理解などは大半のヒト達にとっては興味すら働かないのである
フリードリヒ:ニーチェが典型だが 読み手が都合良く解釈可能な根拠や基準が曖昧な決めつけによる「迷言」の方が大衆には人気が集まりやすいものであり 養老孟司もマルクス:ガブリエルも読書猿も手法は一緒である 人気はあるが 内容には論理的根拠は何もなく 何の応用性もなく ただ読み手が勝手な解釈をこじつけて自分の観念を正当化するのに応用できるために人気があるだけの話である
リチャード:ドーキンスの「利己的な遺伝子」についても 遺伝子に意思も目的も何もあるわけもなく 遺伝的進化の結果に対する都合の良いこじつけの羅列によって 遺伝的進化をあたかも万能の願望器であるかのように錯覚させて面白がらせているだけのおとぎ話に過ぎない
たとえ40年以上もの「ベストセラー」であるとしても その内容は何の応用性もなく 実質的には何も論証しておらず 糞の役にも立たないファンタジーに過ぎない
販売部数は内容の科学的確証には全くならないのである
イマヌエル:カントの「純粋理性批判」同様に 読み手の気分が良くなる話によって衆愚人気を集めているだけの話であって 論理客観的根拠に基づいた真理(本当の話)の論証には全くなっていないのである
逆に スタンレー:ミルグラムによる「服従の心理」については 多くの人は「特殊な事例」として片付け分類レッテル貼りをして無視し 読者の中には根拠もなく「それでも権威に服従しない社会は崩壊する」などと勝手な決めつけをし それに何の疑いも持たないバカの方が圧倒的に多いものなのである
ヒトは権威に服従することが主観的に安心であるため その安心と安全性との区別をつけるために論理客観的事実の論証が必要となるのであって 無意識な主観的安心だけで物事を判断するからこそバカげたデマに惑わされてしまうのである
Ende;